◆怠け心

目玉

透析の医師から、毎日30分程度歩くのが必須条件だと言い渡され、これはこれで、願っても叶ってもない条件だった。透析日は家への往復と散歩など、まさにぴったしかんこんと合致する。だけど、世の中は便利一辺倒になっているから、この好条件でも怠惰に負けてしまうのだ。なにせ家の前を頻繁にバスが往来し、しかも、なんということでしょう、そのうちの1路線はなんと病院の前へ停まるときたもんだ。

つまり家を出てから5分後には病院へ着いているって寸法だ。かくして通院に行き帰りは当然のようにバス乗車、ラクチンの罪は徐々に足腰を弱らせている。ちょっと歩けば、足の節々は痛くなり、呼吸は上がる。徒歩で帰るには地獄の1丁目である急坂、朝凪橋を征服しなければならない。坂が急になると足が重くなり、前へ進まなくなる。

まっことウラメシイ橋だが、このままさぼっていては体力が益々低下するのは目に見えているので、最近は帰路だけでも歯を食い絞って頑張っている。ここをクリヤーすれば、あとはスイスイ、ゆっくり歩けばどうってことはない。本当に目に見えるほど急速に体力の衰え、とりわけ下半身の強化が緊急の宿題になってしまった。筋肉がすっかり緩んでしまったからである。

筋肉の強化が簡単にできるというストレッチをはじめたが、たとえ緩めでも、長い間さぼっていたツケは如何ともしがたく、たちまち、そこここの筋肉が悲鳴を上がる。文字通り3日と続かずダウン、ちょっと体調も悪かったが、体を動かすことが面倒だったのも事実だ。とはいえ、毎日歩き、ストレッチを続けるのが最良の方法、毎日苦難の日が続く。

追記:実態はこんなひどくはないけどね、ちょっとオーバー目に書いてしまった。いずれにせよ主曰く「怠惰は最大の罪である」っていったかどうか。

◆氷雨

サクラモミジ

今日は朝からシトシト氷雨が降っている。
いやあ閑だなあ。ヒマを通り越して、全身がマヒしてしまっている。
斯くなる時は伝家の宝刀、「転た寝」の巻をひもとくしかないんだが、余り使いすぎたので、伝家の宝刀も刃こぼれが目立ち、単なる凡刀に成り下がってしまった。
確かに偶に使うから効果があるんであって、こう毎日じゃ居眠りも楽じゃあなくなる。

閑話休題
先週の日曜日、12月5日は、マゴジュリ3才の誕生日だった。母親と同じ日に生まれるなんて、ご同慶の行ったり来たりだ。
来年は幼稚園ということらしいが、近頃の児は母親ベッタリに育てられているので、簡単になついてくれないのがちょっとうらめしい。
もっとも、あまりベタベタとまつわられても、体力的におつきあいできそうもないからこの程度がほどほどなのかもしれない。

誕生日祝いに先だって、ムスコが八王子の山奥へ墓参に連れて行ってくれた。しばらくぶりの墓参で、気分がすっきりした。車じゃないと、とても行く気になれない場所だ。
お墓に入っても可笑しくない年齢になって、自分の身に置き換えると、「冗談じゃない。こんなとこに入れられてたまるか」って思いが満ち満ちてくる。
そっとムスコ夫婦に聞いてみると、こんな遠くじゃ墓参も出来ないよ」。やれやれ、前途は多難だが、死んじゃえば、どこに葬られようと一緒だという強弁も出てくる。
それにしても、いままで無縁と思われたことが、わが身に降りかかってくる年頃になってきたなあ。

◆師走

もみじ

穏やかな小春日和に恵まれて、師走が開いた。師走という語句には何かおぞましい響きがあって、あまり好きじゃないが、今年は違った。今年は猛暑が激しすぎて、這々の体でやり過ごしてきた残滓みたいなものである。新しい月、師走を迎えて以来、皮肉なことに連日晩秋の高い空が広がっている。例年ならカメラ片手に駆けづり回っている筈だった。ところが今年は1日おきに、よく晴れた空を恨めしげに見上げながら、透析に通う身分となってしまった。たまたま、この時期は鬱つまり負の時期に入ってしまったから、心身ともまったくグルーミーな気分で過ごしてしまった。

早いもので、透析生活に突入して半年が経過した。たとえ、1日3時間も拘束され、多少は痛い思いもするが、このお陰で、己の生命が生かされるんだからって、前向きの気持ちで取り組んできた。だけど、人間には心身とも表と裏の関係が厳然と存在する。11月を過ぎた頃から裏世界に頭を突っ込みすぎ、なにをやるにも鬱陶しいと感じるようになった。

ブログを書くのも面倒くさい、なにも書けない、新聞や本も読むのがいやだ、外出も億劫だ、パソコンを開くのも鬱陶しい、って具合に負のスパイラルに巻き込まれてしまった。これをようやく克服できたのが、12月初め、ようやく負の構造から離脱できたのだ。おかしいものだね、人間の気持ちなんて。ちょっとしたきっかけで、ガラリと変わってしまう。

っていうわけで、今月初めてのブログ作成と相成った。なにせ10日ぶりの書き物だから、当初から誤字脱字に悩まされ、えらく時間がかかってしまった。指が思うように動かないのだ。読みにくい文面だが、お許し願いたい。

◆夜更かし

チョウジギク

午前零時を過ぎると、それまでボヤーっとしてたのに、眠気が覚めて、俄然眼光鋭くなる。いままでもずっと体験していたことだが、NFLのシーズンがたけなわを迎えるようになったからである。8時過ぎから横になりながらテレビを見始めるわけだが、民放だとひっきりなしにCMの挿入があり、それを見るのがイヤで、その間目をつぶってやり過ごすのだが、気がつくともうグッスリ寝入っている。目覚めると、次の番組に移っている。そこでまたCMとの葛藤があって、また寝込んでしまう。そうこうしているうちに午前零時となるのだ。

さあ、この時間から午前4時まではコチトラの主戦場となる。月火水は午前1時から4時までNFLの試合中継(録画)、木、金はイングランド・プレミアリーグ、土、日は時間の前後はあるが、クラシック音楽・海外演奏会の録画放映、それにNBAも始まったし、帝王レブロン・ジェームスの移籍が吉とでるか凶と出るか、大いに食指を動かされる。むろん全部がNHKの衛星放送だ。思うにCMだらけとそ合間に出てくるお笑い芸人はいずれ画面から一掃され、民放は存在価値をを失うだろう。それほどNHK−BSは充実している。

どうでもいいことだが、ジャリタレの加藤清史郎君がやたらとCMに出まくっているね。トヨタのCMだけだとインパクトがあったけど、こうアチコチに出るようになると、いくら可愛らしい笑顔を見ても、鬱陶しく感じるだけだね。親とプロダクションがしゅんのうちに稼いじゃえと影で動き回っているのが、目に見えるようだ。

同じように「ゲゲエの女房」でブレークした松下奈虬、幾つかのCMに出るようになったが、華やかさに欠ける分、大いに損をしている。それに引き替え、フリーとなった滝川クリステルの華やかさが目立っている。陰と陽ということだが、谷間に咲いたユリ一輪よりも、極彩色に咲き誇るバラ一輪の方が目立つのは自明の理だ。

◆小春日和

アゼリア

2日ほど冬を思わす寒い日が続いたが、その後穏やかな日和が続いている。気象情報ではさかんに小春日和だと言及しているが、ちょっと違うようだ。薄雲が張り出し、陽の光を遮断する。つまり晴れのち曇りの状態となり、常時強い風が漂流している高層ビル街では、たちまち寒さが増殖してくる。

小春日和と信じて、やや薄着で出掛け、駅から家までの、本来は歩いて帰る近距離を慌ててバスで帰るなんてことが続いた。小春日和というのは、もう少し太陽が低くなって、昼過ぎまで家の中に陽の光が差し込んでいる状況をいうのであって、季節的には12月から1月に生じる快晴をいうんだと思うがね。

毎日新聞の記事によると、<大学生の就職難が社会問題化している。厚生労働省文部科学省が16日、正式発表した10月1日現在の内定率は57.6%(前年同月比4.9ポイント減)で、「就職氷河期」と言われた03年(60.2%)を下回り、調査を始めた96年以降最低を更新した。不況などを背景に企業が新卒採用を控え、それに伴い活動の早期化・長期化を余儀なくされる学生は疲弊。企業側は事態の改善に動き始めた>。

ところが実態はそうではないようだ。ゲンダイによると、昨年より企業側の応募件数はかなり多いという。新聞発表の数字は大企業を中心とした統計で、中小企業の求人意欲は激増している。甘っちょろい学生は、生活の安定を求めて、大企業中心に殺到する。当然就職難となる。大企業中心の視点を変えれば、成長の可能性がある中小企業がわんさかいるのに、それに目を向けない学生たちって、なにを考えているんだろう。

一方大企業は、日本人の新卒に愛想を尽かし、中国人の本社採用を推進しているという。草食男子よりも、語学堪能、意欲満々、行動力抜群の肉食系中国男子に関心を示すのは当たり前だよね。むろんエサは仕掛けられていて、現地採用現地勤務だと月給4万円なのに、本社採用だと、日本人新卒採用と同じ20万円だから、中国一流大学の学生が殺到するのは自明の理だ。ベトナムなど東南アジアや欧米人の採用も増えているようで、日本人の新卒採用は益々狭き門になる。

◆霜消し

大菊

いやー、今朝は寒かったね。厳しい残暑が執拗に続いていてうんざりしていたんだが、急に寒くなり、気がつけば今年もあと2ヶ月を切った。11月の異名である「霜月」を考えると、霜が降るくらい寒くなるのは当然だろうが、人間ってほんと勝手なもんで、こう寒いと猛暑の方がマシだと思えてくるから現金なものである。

「霜消し」という言葉がある。これは霜が降る夜の寒さを消すほど暖まるということからお酒を飲むことをいう。身体の芯から温まるような熱燗の味わいを引き立てると思えば、これからの冬の寒さも歓迎できるかもしれない。(日刊ゲンダイのコラムより)。

とにかく今年はまだ終わっていないが、両極端の気候にすごく悩まされた。気候の変り目がこれほど明確に意思表示された年はない。そういう意味でも西暦2010年という年は地球の崩壊する兆しが明確に
現れた異常な年だったといえる。さて、霜消しなんて、言葉があることすら知らなかったが、上記のような意味があったとは、相変わらず日本語は融通無碍、千変万化だねえ。

こんな面白い記事が出るのが日刊ゲンダイ。会社の帰りには必ずキオスクで購入し、貪り読んでいたが、無職になってからも、その魅力は衰えず、雨が降ろうと槍が降ろうと、夕方になるとコンビニまでわざわざ出掛け買ってくる病膏肓振り。ついには買いに行くのが面倒くさくなって、いまじゃ宅配してもらう存在となった。

世間的には色気やガセネタを大々的に報道する赤新聞という評判が定着しているようだが、実態はかなり優れものだ。政治面では徹底的に自民党政権を批判し、民社党の小沢擁護を強力に打ち出した。小沢失脚後も「なにもせんごく・アキカン政権」を究明し、小沢政権待望論をぶち上げている。

通り一遍の朝日新聞の記事とは、革命的なほど内容を異にする。著名評論家が毎日のように登場しては、現政権の欠陥を指摘する。なにも書かない、なにも追求しない朝日新聞を長年読んでいて、その余りにも保守的な論調にあきれ返っていたから、毎日新鮮な思いで読ませてもらっている。朝日も、少しでも爪の垢を煎じて飲むべしと痛感している。

幾つにも別れたコラムも朝日のように累計的、勝ち組擁護の文面は少なく、それぞれに勢いがあって、決していい子ぶるようなことがない。この年になると、さすがに売り物のお色気探訪や女の裸、官能小説、競馬などギャンブル記事は、ハナから見ないけれど、政治面以外にも、スポーツ、芸能ゴシップには興味深い記事が満載されていて興味をそそられる。だが、一番の優れものは毎号掲載される医療に関す
る記事である。非常に啓発される記事が多いのだが、それについては次号で。

◆新宿御苑

大菊

菊花展を見に、日比谷公園新宿御苑へ行って来た。日比谷公園はコンテストを兼ねているのだが、花につけられた賞状が邪魔で、撮影に大きな邪魔となる。詳しい説明に欠けているので、いつも不得要領のまま回ってくる。少なくても大きな賞である総理大臣賞や農林大臣賞、都知事賞、など大きな賞を受賞した作品には、受賞の理由など添付するのが、見物客に対して親切というものではないのか。

栽培者が一応ついているようだが、質問に対する応答も不親切でぶっきらぼうな応対振りである。菊一筋の職人さんたちだろうから、口下手なのだろうとは思うのだが。折角精魂傾け展示会出品にこぎつけた割には、生産者の喜びが感じられないのは残念である。結局賞の有無に関係なく、自分の気に入った作品を激写することになる。それもベタベタ張られた布っきれの少ないものを選ぶのは、写真の構図上やむを得ないことだ。

一方新宿御苑のほうは、品種別に展示されており、その陳列法は毎年同じだから、勝って知った我が道じゃあないが、順路など関係なく、まず好みの種類が展示された場所に駆けつける。従って歩く道筋は前後左右飛び飛びとなり、結構歩るかされることになる。コチトラノ道程は、まず、丁子菊、嵯峨菊のコーナー、江戸菊、一文字菊、肥後菊、以下気の向いた方へという任意の行程になる。

こちらの方は新宿御苑の職員が精魂こめて作ったものばかりだから、過不足なく見応えがある。あまり好きではないが、1本の株から5−600もの花を咲かせる大作り花壇の見事さにはただただ感歎させられる。不満と言えば、余りにも大きすぎて、カメラのフレームに入りきらないことだろう。11月15日までの開催なので、若干遅く行き過ぎたきらいがあり、別名天皇菊と呼ばれる一文字菊などは、へたり始めていた。

まあ、しかし、自分の庭みたいだった新宿御苑に、近頃とんとご無沙汰続きで、今年4月、八重桜が満開になる頃を最後に足が遠のいてしまった。それもその筈、以後入退院を繰り返し、気力は減退、外出もままにならなかったからである。久し振りにやってきて、大輪の菊に囲まれて、やはり健康っていいなあとの思いにじっくり浸っている。こうして出歩けるようになったのが、何よりも嬉しい。頑張るぞって気にもなって来るね。