◆遠雷

隅田川の花火(朝日新聞より)

花火は消えていくときがいいと、深代惇郎が書いていた。ひょろひょろと上がってパッと散る。青や赤が溶けるように流れる。見る間に消えて、ふたたび闇だけを天空に残す。瞬時に消えながら眼底と胸底に余情をひく。「どんなに見事な花火も消え方が悪ければおしまいだ」とこだわりを見せていた。東京の下町育ち。江戸情緒の風を受けた花火の見巧者(みごうしゃ)だったかもしれない。

そしてこの夏も、列島各地で花火大会が盛りである。去年はいま一つだった。不況のあおりで中止や規模縮小が相次いだ。それらが今年、続々と復活している。静岡県袋井市や千葉県の手賀沼などではきょう、復活の大輪が夜空に咲く。住民の募金でよみがえった大会も多いそうだ。やはり日本の夏とは切っても切れない。

「暗く暑く大群衆と花火待つ」西東三鬼。とはいっても、やみくもに一番前に出るのは野暮らしい。通によれば、パッと開いてから1、2秒、音が遅れて聞こえるのが粋だという。目と耳のずれ加減が、こだわりどころなのだそうだ。見えない花火も、しみじみと趣が深い。どこからか音だけが聞こえてくる遠花火である。窓をあけて、夜気をふるわせる遠雷のような響きを聞く。枝豆にビールでもあればなおいい。こんなときは音にあわせて、心の中で大輪が咲く。

花火見物は、暑さにゆるむ心身に、目と耳を通して活を入れる効用もあるらしい。暦の上ではきょうが立秋。「そよりともせいで秋立つことかいの」鬼貫。涼と活を求めて、こよい足を運ぶもよし。(以上天声人語より)

うんお!心の中で花火を見る、か?
ここ数年、豊洲周辺は超高層ビルが乱立し、豊洲の町にすっぽりと蓋をしてしまった。お陰様で8月15日の「東京湾大華火大会」がまるで見えなくなってしまった。天声人語のいうように、今年は遠雷のような響きに耳をこらし、楽しんでみようかな?
やっぱ、やめとこ、そんなバカげたことは。