◆座右の書

テンニンギク

コチトラ、無神論者だから、バイブルなんて見たことも触ったこともない。ここでいうバイブルとは便宜上の言葉である。池波正太郎の「鬼平犯科帳」はもとより「剣客商売」「藤枝梅安」の各シリーズを、折に触れ読み返しているが、そのたんびに新鮮な感動を受ける、まことに奇異な小説群である。むろん、長谷川平蔵、秋山小兵衛、藤枝梅安人間性と行動力、発想の鋭さにはドギモを抜かれる思いだ。しかし、このシリーズの最大の読みどころは、出場人物が部下であれ、盗賊であれ、良く書き込まれている点にある。

さて、ここまでは前説。イケショウの最大の魅力はなんといっても食にある。食べる情景が数多くあるが、そのたんび、舌なめづりしながら、ああ、オレも食いたいと思いながら、溜息を発するのである。これほど料理の旨さを活写できる作家は数少ないだろう。現在、コチトラのバイブルとなっているのは、イケショウの「食卓の情景」と「散歩の時になにか食べたくて」の2冊である。

この2冊、いってみればイケショウの外食日記である。美味しい食べ物に舌鼓をうつ姿は食べることの楽しさを教えてくれる。外食は東京周辺に限らず関西地方にもふれられて、食べ物行脚と地方旅行を兼ねているのもいい趣向だ。<わたしのような職業に就いている者は、一日中我が家という巣の中で働かねばならぬ。いわゆろ居職なのであるから、日々の食事は非常に大切なものとなる。美味しいものを美味しく食べるのが究極の願望である>「食卓の情景」の一説だが、年々美味しいものを食べたいという欲求にさいなまれている。別に高価なものを求めているのではない。

余生というものに思いをはせるとき、その短い瞬間を出来れば好きなことで過ごしたい。その好きなことが美味しものをハフハフ食べることであるのは言を俟たない。イケショウが訪れる店は高級店ばかりではなく、市井の名もない店も多い。ふらっと立ち寄り、雰囲気を味わいながら、美味しいものを食べる。店の善し悪しは店主または従業員の行き届いたサービスを見るだけで分かるという。70歳もかなり過ぎているのに、その種の感覚にまったく無頓着な自分が恥ずかしくなる。