◆重厚長大

富士山(NHKより)

余りにも猛烈な暑さに辟易していた毎日だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という喩え通り、どうも人間にとっては「忘却とは忘れ去るものである」ようだ。爽やかな秋を一気に通り過ぎて、いま、11月中旬の気候だそうである。涼しさを通り抜けて寒さを急に意識きしだした。きょうも朝から霖雨というより小糠雨がそぼ降っている。春の雨は陽気で明るいもの、「アレッ!月様、雨が」「春雨じゃ、濡れていこう」、なんか妙になまめかしい雰囲気を感じる。その対極にある秋雨は、重苦しく来たるべき冬の前奏曲っていう沈鬱の雨である。

今年はドイツの作曲家グスタフ・マーラーロベルト・シューマンの生誕150年だそうで、そういえば、昨年はフレドリック・ショパンとグスタフ・ワグナーの生
誕150年、一昨年はヴォルフガング・モーツァルトの生誕500年と、このところクラシック業界は毎年頻繁に、記念音楽会や記念DVDの発売に余念がない。それはそれで結構なんだが、好みでない作曲家の作品がNHKなどで頻繁に演奏されると、ヘドが出そうになる。特にヒトラーの再来を思わす(現実は逆だが)ワグナーの延々と続く楽劇には参っちゃうな。せっかくの放映だけど、ちょっと見るだけですぐ消してしまう。

今年のマーラーはワグナーの系譜を引き継いでる作曲家なので、主題のはっきりしないメロディだけでも鬱陶しいのに、その冗漫な長さには参ってしまう。例えば交
響曲第5番、冒頭の第1楽章は美しい曲が華麗に演奏されるので、長すぎる楽章でも我慢できるが、この曲はなんと第6楽章まである。お目当てのアダージェットは第6楽章にあるため、この間の冗漫で長大な2−5楽章は退屈の余り、殆ど聞かないでいる、っていうよりボサット見ているか居眠りをしている。だから、お目当ての第6楽章だけを聞きたいときは「アダージョカラヤン」を聞くに限る。

先週「交響曲2番」を聴き、今週は「交響曲8番」が放映される。数少ないクラシク番組がマーラー一辺倒なのは仕方ないとしても、当方はじっと首をすくめて台風の過ぎ去るのを待つ心境だ。そんなにイヤなら聞かなければいいんだが、さすがにそれは損する気がして深夜まで漠然と待機している。