◆聴く花火

隅田川の花火(朝日新聞より)

きょうの豊洲周辺は昼間から殺気立っていた。12時半の豊洲方面行きのバスは満員で乗れなかったし、豊洲では厳しい交通規制が敷かれていた。きょうは年に一度の「東京湾大華火祭り」の日で、どこから集まってくるのか、地下鉄のターミナルからもドンドンと有象無象が吐き出されてくる。治療が終わって地べたへ出てくると、人の波が右往左往、豊洲周辺の見晴らしのいい場所は、すべて有料席で、貧乏人を相手にしないから、流れは自ずと月島方向へと向かわざるを得ない。

ここ2−3年、豊洲超高層ビルが乱立するにつれ、豊洲・枝川周辺の見物は不可能になってしまった。超高層ビルにより、完全な目隠し状態となり、華火は見えず、遅れてやってくる空砲の音だけが空しかった。そんなわけで、この日の華火は我々の生活とは無縁の状態となり、花火を見ることをすっかり諦めてしまった。だから、尚更豊洲周辺の混雑は煩わしい。いつものように軽食を求めて入ったコンビニ、パン屋などは予想通り、まだ午後4時だというのに、売り切れが続出、まともな物はコレッポッチも残っていなかった。

今日も空しく音だけを聞く花火見物になりそうである。だけど、空の様子が怪しいぞ。「一天にわかにかき曇り」を予想させる突風が吹き始め、もしかしたら中止か?なんて意地悪い目で空を見上げる。ウーン、確かに風は強いぞ、だけど遠雷のように聞こえる、テスト打ち上げが次々と上がり始めた。主催者側としては意地でも実行するぞという意思表示だろう。中止になったときの損害といったら、主催者だけじゃなく、随伴している周辺の業者を合わせると巨額な額となろう。

ザマーみあがれといいたいところだが、それは大人のいうことではない、ジッと我慢の子に徹することも大切だ。といいつつも、華やからしい音が次々と聞こえてくると、やはり花火は聞くもんじゃなくて見るもんだってツクヅク思い知らされたね。