続 飽きちゃった

平和の灯火・長崎(朝日新聞)

聴きたい音楽が1曲いくらと課金される原理原則に則って、ソフトが組まれているから、例えアイチューンで買わなくても、同じ方式が適用される。ってわけで、あっという間に150曲も入ってしまうというわけだ。つまり交響曲なら、通常は4楽章だから、4曲、レクイエムなら1小節いくら、アリア集なら1曲いくらといった具合になる。初めのうちは物珍しいから、夢中になって聞いていたが、飽きるのも早かった。

っていうのも、聴きたい曲が思うように聞けないのだ。どの曲もコマギレになって入っており、アイ・パッドには調整機能が付いていないから、コマギレに入っている曲を探し出すのにえらく時間がかかる。アイ・パッドは近頃流行のタッチ方式だから、慣れない年寄りにとっては厄介この上ない。年を取ってくると、手の動きも瞬発力に欠け、あまつさえ、指の脂肪がなくなっているので滑りが悪く、思うように指先を駆使できない。

つまり目的の曲へと思うように誘導できないのである。しかも曲がコマギレに入っているから尚更である。つまるところ、面倒くさくなって、指定していない曲を聴くことになる。マーラーの5番やワグナーの序曲集なんか、もうヘドが出るほど聞いた。せっかく異なった指揮者でダブって入れたブルックナーの4番、7番など、透析をやりながら聴くなんて芸当は未だ実現さえしていない体たらくだ。

先週、白内障の手術を受け、左目の視力も1,0と回復し、テレビも肉眼で見えるようになった。折から高校野球の中継が毎日ある。そんなこんなで、音楽を聴くのを放棄して、野球中継を見ながら、ウツラウツラと過ごすことが多くなった。過ぎたるは及ばざるが如しというけれど、アイ・パッドにしろ、アイ・チューンにしろ、携帯電話にしろ、多機能付きの近代兵器は我々世代には無用の長物、扱いにくいというしかない。