◆ボケナス

大手町

1ケ月近く世間から隔離されていると、久し振りに娑婆に戻ってみると、いま浦島といった感じになる。なにせ、生活の殆どが寝たきりといった状態だったから、気になっていた荒れ果てたベランダの水遣りを真っ先に始めたものの、立ったままでいると、すぐに疲れて座り込んでしまう。

それにしてもひどいベランダの状態だった。花期の終わったものと、咲き始めたものとがごっちゃのまま、ほったらかしてきちゃったもんだから、悲惨なものだ。鉢はカラカラに乾き、そのくせ花期をを迎えた花々、特にゼラチャンはツボミというツボミを開いていて、もう既に枯れかけた物さえあった。枯れた花殻をつまみ取るだけでも、幽閉された身にとっては重労働もいいとこ、体力の衰えは隠しようもない。

まあ、たとえまともな身であったとしても、74才という思いもしない高齢に実際鳴っているわけだから、73才で出来たものがもうできないっていうことが意外に多いのである。それのしても、我が家のゼラチャンのすごいこと、あんなにほったらかしにしていたのに、まさに百花繚乱、もっと手入れしていれば、さぞかし立派だったろうにと、後悔ばかりが先に立つ。それでも水をたっぷり降り注ぐと、いかにも嬉しそうに強い香りで応えてくれる。愛しい者よ、それはゼラチャン。

ところで、1ケ月近い世間から隔離された狭い社会だったが、それはそれなりに、色々と話題の絶えないネタの宝庫ではあったね。おかげでブログに書く素材に事欠くことはなかった。とりあえず、見聞きしたことをメモに箇条書きしておく。それを見ながら、内容を膨らましていくという手法で、コジゼラも、ここしばらくは命脈を保てそうである。

まずは透析のことだが、既に3回行ったが、たんび身体がポット温かくなり、命の証が放り込まれる感じがする。あれほど倦怠感の強かった日常に、物に対する関心や、文章を書きたい、写真を撮りたいなどという欲求が勃然と湧いてくる。要するに生き返ったなっていう実感が強くなった。いまは気力だけで体力が伴わないから、全力投球とは行かないけど、いわゆるリハビリで身体を徐々に慣らしていけば、意外に早く社会復帰が出来るかもしれない。この項も水遣りの途中に思いあま合って書きだした次第である。こうした意欲が湧いてきただけでも大収穫だと思っている。