◆あれこれ

レンギョウ

美術専門の英国日刊紙アート・ニュースで、昨年世界で開催された美術展の入場者数(1日当り)を発表した。日本の施設が開催した特別展が上位4位までを独占した。トップは東京国立博物館の「国宝 阿修羅展」で1日平均15、960人が入場、以下2位は奈良国立博物館の「正倉院展」、3位は東京国立博物館の「皇室の名宝ー日本美の華」、4位は国立西洋美術館の「ルーブル美術展 17世紀のヨーロッパ絵画」だった。6位に入ったブランスグランバレでの「ピカソと巨匠たち」(7、670人)など欧米の著名な美術展を上回る集客力の凄さに、不況知らずの日本人と海外で評判になっているらしい。

阿修羅展は不幸にして観覧できなかったが、NHKで再三にわたり、豪華な特集を組んでいたから、十二分に堪能できた。縦横後ろとカメラは縦横に駆け巡り、その美しいお姿を嘗め尽すように捕らえている。少年から大人へと成長していく姿を、立体的に捉えようとした先人の思いが画面一杯にみなぎっていた。あの可憐な姿を敢て阿修羅に仕立てた思いとはなんだったんだろうか。それは、憤怒だったのか、憧憬だったのか、憐憫だったのか。今となっては、それぞれ見る人が自分の観点で判断するしかないだろう。

作家の阿刀田高は1935年東京生まれ、昭和20年8月1日の真夜中に西荻窪の自宅で空襲に遭遇した。焼夷弾で街が焼かれていくのを鮮明に覚えているという。<焼夷弾の火は燃え移るのではなくて飛びます。片方の家並みがやられて熱で温度が一定程度まで上がると、反対側の家並みに撒かれていた油が一気に燃え上がる>。コチトラなんか防空壕の中で、恐いというより、あちこちに火の手が上がるのを、きれいだなあなんて感心してみていたわけで、たった一つしか違わないのに、空襲を冷静に観察しているんだからたまげてしまう。流石小説家として名を上げるほどの人は違うわい。早稲田の先輩らしいが、焼夷弾が飛ぶなんて、古希過ぎて初めて知ったよ、いやあマッコトお恥ずかしい次第だ。