◆如月2月

銀座八丁

いつも思うことだが、年月の流れは遅いようで早い。あっという間に如月2月の到来である。殆どなにもしていない、右の物を左に移すことさえしていない。毎日を長い一日と思いつつも、気がつけば、あっという間に1月は過ぎ去っていった。今年の月初の日は、1月1日は快晴、2月1日は雨天で始まった。ところによっては雪の可能性もあるとのことである。

いずれにせよ、天気が悪ければ、出掛けないで済む、格好のいいわけにはなる。これだけ身体を動かさなかったことは、生まれて初めてのことだろう。身体中の毛という毛が消滅して、世をはかなみ、引き籠もった2週間だって、これほど怠惰ではなかったはずだ。世間に対する怨み、自分に対するつらみ、そういう怨念が身体に満ちあふれ、逼塞しているとはいえ、心も体も熱かったのだ。だが、この1ケ月の状態ってなんだ。

やれどこが痛い、ここが痛いといった小さなアクシデントはあったけど、煎じ詰めてみれば怠惰につきるだろう。なにもやる気が起きない、面倒くさい。自分を誤魔化すために、「機が熟すのを待つ」「捲土重来」「悠々自適」などお為ごかしに思い浮かべるが、これらの言葉、響きがあって、それぞれに由来があり、その意味する言葉には重みがある。決して気楽に使っていい言葉ではない。そのような言葉の遊びをする前に外へ出たらいいじゃないかって、自らを鼓舞はするんだけど、怠惰に負けちゃうんだな。

毎日毎日の大半を転た寝で過ごしてきたこの1ケ月、いかにもご気楽に見えるだろうが、気楽は気楽なりに辛いこともあるのだ。その一つは、束の間のことではあるが見る夢にろくな内容がないのである。会社をいきなり馘首になった噺、そんな経験はないんだが、内容は生々しい、ああ、どうしよう。電車に乗ってふと見ると、定期券の期間がとっくに過ぎている、ああ、どうしよう。駅で降りて歩いて行くと、どんどんと知らない道へと入っていき、突然橋のない大河に行き着く、ああ、どうしよう。

大抵が冷や汗をかいた気になって目が醒める。ああ、夢で良かったとは思わない。ああ、またこの夢を見てしまったという悔しさだけが残るのだ。まあ、とにかく年初からの大スランプ、ボチボチ克服しなけりゃならないだろう。プロ野球もキャンプ入りしたことだし、コチトラも冬眠からさめて、春眠暁を覚えない生活へと脱皮すべきだろう、心身ともガンバルしかないね。