◆町名

本郷・誠之小学校

江戸時代、宿場町として栄えた「大津百町」の旧町名を活用して大津の街中を活性化させようと、大津市は来年度から3年間かけて、100ある旧町ごとに町名板を設置していく。住居表示の変更で失われた地名を復活させ、現代によみがえる大津百町を、地元住民たちは思い描く。琵琶湖疏水周辺から京阪石場駅周辺までの区域に、その名の通り100あり、主要道や峠道に沿って七つの組を形成していた。住民の出身地を示すとみられる「坂本町」「上堅田町」「下堅田町」や、生業を示す「鍛冶屋町」「大工町」「船頭町」などのほか、各藩の蔵が置かれた「御蔵町」などがあった。

このニュースを見て、ようやく行政も重い腰を上げたという感じがするが、「遅かりし由良の助」とはいえ、とても喜ばしい措置だ。史跡を追い駆けて東京を訪ね歩く事も多いが、由緒正しい地名が無残にも無機質な何丁目などに統合されているのを見ると、悲しみより怒りに近い思いがこみ上げてくる。とりわけ、文京区、消すには惜しいような地名が行政の簡素化を理由に改悪されて来たのが残念だ。新宿区が旧牛込、市ヶ谷地区には旧町名を残したことは、まことに快挙といわなければならない。

道坂町、坂下町、根津八重垣町、根津宮永町、根津愛染町、本郷弥生町、向ヶ丘、駒込西片町、森川町、柳町、林町、菊坂町、本郷吉祥寺、小日向町、白山御殿町、指ケ谷町、駕籠町、本富士町、同心町、記憶が薄れてしまったので、このくらいしか町名は思い浮かばないのが残念だ。弥生の地名は昭和40年の住居表示で一旦消えたが、故サトーハチローらの訴訟で、昭和42年再びよみがえった。暗闇坂にある弥生土器発掘地と挿絵画家、故高畠華宵の二つの記念碑にも町の歴史を愛する住民の心が垣間見える。

コチトラの郷里といえるのは、北区滝野川、小学校は谷端小学校、この字で「やばた」と読むのも珍しい。ゴボウの名産地であったことからも分かるように、北区の外れ、板橋駅に徒歩5分と近いのが唯一の自慢、地名も三軒家、狐塚、御代の台など、辺鄙な場所を象徴するようなものだった。たまに行くこともあるが、昔と変わらない寂れよう、繁華街池袋の一つ手前というロケーションなのにね。駅前に近藤勇の墓があるっていうのも、ローカルだよなあ。