◆色にょろ

銀座・木村屋

葡萄色と書いて、「えびいろ」と読む。葡萄という漢字は元々「えび」と読んでいた、っていうのも、昔の人は、水中生物である海老が葡萄に似ている生き物と考えていたからだ。もっとも海老の中には「ブドウエビ」なんていう種類もあってややこしい。生の「ブドウエビ」を札幌で食したことがあった。まわりから「どう、美味しいでしょう!」って煽られ、「ヒャー、うまいね」って調子を合わせておいたが、本音でいえば、紫色のエビなんて、珍しい以前に気味悪くて辟易させられたね。

♪雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き♪

北原白秋の作詞で有名な「城ヶ島の雨」だが、この曲を初めて聴いたときに、瞬時にいい曲と詩だなって思ったが、「利休鼠」ってなんだろうって不思議に感じた。
まして、鼠の雨だなんて、どういう現象なんだろうって思ったね。利休鼠(りきゅうねずみ)は緑色がかった灰色のことだった。江戸時代後期に流行った色の一つで、「地味で控えめな色彩であることから、侘びた色として侘茶を大成させた利休を連想した」「地味で品のある色合いから、利休好みの色と想像された」「抹茶のような緑から利休を連想した」などの説がある。

「きらはれる くせに女郎を 浅葱好き」と江戸川柳にある。羽織の薄い藍染木綿の裏地のことを浅黄裏というが、転じて、このような羽織裏が時代遅れになってからも、着用していた田舎武士のことを、あざけっていう言葉だった。浅葱色という言葉を見ると一瞬、黄色系と錯覚してしまうが、浅葱色(あさぎいろ)とは、ごく薄い藍色のことである。また、現在は薄い青緑をこう呼ぶこともある。水色より濃く、花色より薄い。

「目の前に鈍色の海が果てしなく広がっていた」、かって愛読していた志水辰郎の作品で、孤独な主人公の心境を表象する名文句だが、鈍色(にびいろ)とは濃い灰色のこと。平安時代には灰色一般の名称であったが、のちに灰色、鼠色にその座を取って代わられた。鈍とは刃物などが切れなくなる事などを指す「鈍る」が語源。喪の色、あるいは出家の色として平安文学には頻繁に登場する。よく「墨染め」とは言うものの、普通は草木染で矢車という植物を鉄で媒染して染めるそうだ。