◆きびす

日本未来館

「きびすを返す」という言葉がある。これは引き返すという意味だが、同じように「きびすを接する」という言葉は聞き慣れない。きびすとはカカトのことで、漢字で書くと同じ踵という字になる。きびすを接するとはカカトが接するほど次々と人が訪れるという状態をいう。これが転じて物事が次々と起こるという意味になった。「きびすを接するほど友達が結婚していく」といった風に使うそうだ。なんだかピンと来ない使い方で、たとえ使ったとしても相手には通用しそうもないね。

「こむら返り」と「ハムストリング」はどう違うのか調べたら、こむら返りは、こむら即ち脹ら脛の筋肉がひっくり返ることをいうそうだ。ともに同じような状態だが、痛めた箇所が太腿なら肉離れ(ハムストリング)、脹ら脛ならこむら返りということになる。ところで、「脹ら脛」って、すねのこと、脛ってどこになったんだっけ。

五臓六腑にしみ渡る」なんていうが、五臓六腑とは人間の体の中にある内臓の事で、五臓とは、心臓、肝臓、肺臓、脾臓、腎臓、六腑とは、大腸、小腸、胆、胃、膀胱、三焦。「五臓六腑が煮え返る」「五臓六腑にしみわたる」というように、腹の中という意味にも使われることが多いようだ。ところで三焦とは、漢方で、三つの熱源の意で、上焦は横隔膜より上部、中焦は上腹部、下焦はへそ以下にあり、体温を保つために絶えず熱を発生している器官とされ、呼吸・消化・排泄をつかさどるという。「三の焦」と書いて「みのわた」ともいう。

「臍で茶を沸かす」はおかしくてたまらない、ばかばかしいほど滑稽である、笑止千万である、などの意。主に、嘲りの気持ちを込めて使う、例えば、「ちゃんちゃらおかしくて、臍が茶を沸かすぜ」。大笑いして腹が捩れる様子を、湯が沸き上がるのに似ているとして言われた言葉という。臍といえば「臍をかむ」という言葉もあるが、これは臍(ほぞ)を噬(か)むと読み、どうにもならないことを悔やむことで、自分の臍をかもうとしても、口が届かないところから転じたことば。

「へそくり」は臍繰り金の略。紡いだ麻糸を環状に巻いた手巻きを「綜麻」といい、綜麻を繰る内職で貯めた金が「綜麻繰り金」だが、この綜麻が同じ意味の臍と混同されたらしい。一方、江戸時代に銭を臍に巻き付けた胴巻が語源ともいわれている。この場合は臍の場所に納め、必要なときに繰り出すという意味になる。