◆日食

アオイ

2009年7月22日(水)午前11時前くらいから観測される皆既日食。日本で皆既食が観測されるのは屋久島から奄美大島までの間。全国でも部分食の観測は可能。パキスタンで始まった日食は、時間の経過と共に吐噶喇列島小笠原諸島の南方を経て太平洋上で終わる。世紀の天然ショーということで、日本中で大騒ぎしているようだが、どうやら、明日は曇りまたは雨という予報、当てが外れそうな気配だ。

陸上での観測が可能なのは、日本では屋久島以南、奄美大島以北の島々に限定される。なかでも、吐噶喇列島は日食の中心帯域に位置している絶好の観測ポイントである。悪石島では皆既継続時間が6分30秒という21世紀最大級の日食となる。世界中の天文家が注目するトカラ列島であるが、トカラ各島への交通の便は村営フェリー一隻のみであり、宿泊施設にしても各島に民宿が2〜5軒ある程度で宿泊人員にも制限がある。

そこで、地元である十島村近畿日本ツーリストと業務提携をして、そこのツアーしか受け入れないことに決めた。というより、30名もいない役場の職員ではとても1000人もの日食観測客をさばけないので、その辺のさばきも含めて業務委託したということのようだ。そもそも、トカラ列島へは村営フェリーしかアクセスがなく、フェリーの輸送量の問題で、最短2泊3日くらいで往復できるはずのトカラ列島に、ツアーでは1週間程度の滞在を余儀なくされる。

日食期間中はすべて日食ツアーの客で満杯で、それでも足りなくてチャーターしようかという話があるくらだから、村民用の枠が若干あるとしても、フリーではまず乗るのは無理、宿泊施設の定員も民宿を含めても全く足りず、多くはテント暮らしになるだし、飲み水や電気も本来の村民用以上に余力はないので、ミネラルウォーターや仮設発電機でまかなうという話だから、もし島に行けても正規なツアー客以外の人を受け入れる余地はない。

北海道の礼文島で、1948年5月9日 金環/皆既日食 が観測された。このときの食分は1,0で、皆既日食金環日食との境界にあたる日食だったようだ。礼文島は、稚内の西方60kmに浮かぶ日本最北限の島。海抜0メートルの地点から高山植物が咲き乱れる花の島だ。この日観測されたこの日食は、観測チームは日米共同で、1500名の科学者達で組織されたのだとか。太平洋戦争終戦からわずか3年後の日本。日食観測をアメリカと共同で行っていたなんて、ちょっと驚きだった。

1948年といえば、昭和23年、小学校6年生だったか。この日、こども達は焼け跡があちこちに残る広場に出て、ローソクの炎であぶって、すみで黒くしたガラスの破片で空を見上げたもんだった。皆既日食がはっきり見えたという記憶の断片は消え去っているが、翌日の朝刊で、見事な金環食の写真を見て感激を新たにしたっけ。日米の科学者がこんなに大勢参加しているなんて初めて知った。まさに、快挙だったんだねえ。