◆昭和

花の終わった藤棚

「パソコンの具合が悪いので」と、中堅どころのサラリーマンが手書きの書類をコピーして職場で配った。それを見ていた若手が、ちょっとバカにした雰囲気で言ったという。「昭和のやり方ですね…」。

今の若者にとって「昭和」という言葉には、古臭いとか、時代遅れとかマイナスの響きがあるようだ。そういえば、センバツに出場した高校球児が相手チームの選手のことを「変な顔のやつばっか、笑。昭和くさい」とブログに書き込んで侮辱した、というニュースもあった。「昭和くさい」という耳慣れない言葉は、昭和世代をどこか不愉快にさせる。

16日に総務省が発表した昨年10月1日現在の推計人口によると、平成生まれは2298万人に上り、既に総人口の18%を占める。昭和の終わりに生まれて、昭和の記憶がない人を加えれば、都内でも「昭和くさくない」勢力は相当なものだろう。

俳人中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、明治が終わって20数年たったころらしい。平成21年の今と重ね合わせると、そろそろ「昭和は遠くなりにけり」なのかもしれない。「昭和は遠くなりにけり」、ほんとうにそうだとつくづく思うね。昭和一桁生まれをださいなんていってからかっていたのに、いまじゃ昭和二桁だって歴史的遺産のようなものだ。そりゃそうだ、あっという間に七十路(ナナソジ)を超えちゃったんだもんなあ。

昭和といえば、いいこと悪いこと、ごっちゃまぜの時代だった。だからといって、悪い時代だったとは思っていない。なにせ、人生の大半を過ごしてきた時代だからね。振り返ってみれば、嫌な思い出などはきれいサッパリ忘れ去り、よかった思い出しか残っていない。そういうノー天気だから、昭和世代はバカにされるのかなあ。

福沢諭吉が咸臨丸で渡米したのが1860年、コトトラが大学を卒業したのは1960年、諭吉が生まれたのが1835年、コチトラが生まれたのは1936年。
明治の時代とは、たった100年前だったというのを実感する。たった100年しか経ってないのに先人は素晴らしい業績を上げ、コチトラは市井に埋まったまま、ろくな事もせずにいいことしか覚えていない。明治の人に嘲笑されても文句は言えない。今日は中途半端な休日「みどりの日」だという。連休の中日、気が抜けた一日になりそうだ。