◆天声人語

薄墨桜(アサヒコムより)

染め上げるというにはあまりに淡い色を連ねて、桜前線の北上はきょうはどのあたりか。陽気に誘われて、せんだって山梨県神代桜を訪ねた。日本三大桜と呼ばれる一本だ。樹齢2千年ともいうエドヒガンの古木は、ちょうど満開の枝を空に広げていた。周囲が12メートルもある幹は黒い巨岩を思わせる。瘤だらけでうろをなし、節くれだっている。その貫禄は、残雪の南アルプスに向かって一歩も引かない。異形の塊から清楚な花が乱れ咲く様は、どこか妖しげな空気さえ漂わせていた

桜の花は万人に愛でられるが、幹もまた捨てがたい。「桜の画家」で知られる中島千波さんに、「花を描くというより幹を描く」とうかがったことがある。桜の表情は、花よりも幹に真骨頂があるのだという。やはり三大桜の一つに樹齢1500年という岐阜の淡墨桜がある。中島さんは初めて見て幹に圧倒された。「古代人がそこにいるような畏敬の念を感じた」そうだ。以来、歳月を重ねた一本桜の肖像画を描く気構えで桜と向き合ってきた。

「さくら花 幾春かけて老いゆかん 身に水流の音ひびくなり」。小紙歌壇の選者馬場あき子さんの一首を思い出す。水流とは老樹のひそやかな鼓動だろうか。それとも、遠い過去から吸い上げる悠久の時の流れなのだろうか。いずれ、聞こうと心する耳にだけ響く音なのに違いない。群生の桜は「見に行く」だが、有名でも無名でも一本桜には「会いに行く」と言うのがふさわしい。人、桜に会う。仲を取り持って、二度とはめぐらぬ今年の春がたけていく。

以上、4月12日付の「天声人語」からだが、久し振りに興味のあるはなしみに出会った気がする。ここんところ、あの悪代官の典型みたいな麻生首相が元気を盛り返したのも、朝日新聞が政権べったりの報道を続けているお陰だと、ちっと腹に据えかねているから、どうしても色眼鏡で朝日新聞を読む癖が、いつの間にかついてしまった。当然のごとく、天声人語には目も通さなかったが、偶々いい記事が出ていた。