◆記憶

一分咲きのシダレ

早混の機関誌から執筆依頼があった。1959年に行われた第3回早混定期演奏会についての感想で、ほぼ50年前の出来事である。さて、その依頼ではたと困った、最近頓に記憶が薄くなっている。とりわけ、小学生から大学生時代の記憶があちこちで空白になっていて、記憶をたどるにも、一つ一つのジグソーパズルを埋めて行かなくてはならない。

チョット試してみたんだけど、とてもじゃないが空白を埋めるのは至難の業だ。なにせ、「忘却とは忘れ去ることである」という菊田一夫がはいた迷文句を、感心してしまうんだからどうしようもない。。そんなわけで、この原稿は妙に記憶力のいいにょうぼ殿にバトンタッチすることにした。

記憶というと、人間というのは勝手なもので、悪い記憶は消去され、いい記憶しか残っていない。悪い記憶の方が大事なこともあるのに、年を取ってくると、自分に都合のいいことしか覚えていなくなる。いま過去を振り返ってみると、まさに「バラ色の人生」そのもの、悪戦苦闘した時代でさえ、良かったことしか覚えていない。

例えば、B29による空襲、毎晩響き渡る空襲警報に怯えながら、防空壕に逃げ込んだ恐怖の体験がわんさかあるのに、はっきりと覚えているのは、花火のような饗宴をうっとり眺めていたことだけである。例えば、戦後食料事情が逼迫し、たけのこ生活を余儀なくされたわけだが、そのひもじさよりも、フィリッピンで抑留されていた父が無事帰ってきたとき、お土産にくれた米国産のチョコレートのおいしかったことのほうが印象深いのである。

サクラの開花宣言がなされ、すっかり出掛ける気になっているのに、その日は雨だった。もっとも日曜日だったから、出掛ける先も限られるのだが、とにかく出鼻をくじかれた気がする。そして、今日こそと力んでいたら、朝から恐ろしい勢いで強風が吹き荒んでいる。花木の写真を撮る場合、この風という奴は最大の敵となる。木が揺れ、枝が震え、花が恐れおののくから、まず、まともな写真は撮れなくなる。っていうことで、きょうは朝から不貞寝をしているわけだ。