◆残像

豊海橋

最近めっきり映画を見る機会が減った。近くに二つも劇場シアターができたのに、それも60歳以上1000円という特典があり、必ず座ってみられるというのに。その理由はなんなんだろうか。まず挙げられるのは映画がつまらなくなったということと、映画を見て感動するってことが少なくなったこと、映画以外のレジャーが多くなったこと、それから、テレビの存在も大きいかもね。

いままで見た映画で一番印象に残っている映画は、なんといってもキャロル・リード監督作品「第三の男」だろうか。あまりにも、仕掛けが凝っていて、印象的なシーンが多すぎて、あっけにとられた、非常に格調の高いサスペンス映画の傑作だ。第二次世界大戦直後のオーストリアで、四ヶ国(米英仏ソ)によって四分割統治される首都ウィーンの殺伐とした世相を背景とするサスペンス映画である。光と影を効果的に用いた映像美、戦争の影を背負った人々の姿を巧みに描いた内容は高く評価されており、カットなしで撮影された墓地でのラストシーンは映画史に残る名場面として非常に有名だ。音楽にアントン・カラスが演奏する民俗楽器のツィターを採用し、この味わい深いテーマ音楽も広く知られた。

一番有名なシーンはラストで、アリダ・バリが墓地の道を歩いてくるシーンだろう。カメラを据え置きにして、遠くからこちら近づいてきて、そして遠ざかっていくシーン。なんと切なくて、なんと厳しくて、含蓄のあるラストシーン。最後のシーンは映画史に残る名高いものだが、実はこれは当初の予定にはなかった。本来ならば通俗的なハッピーエンドとなるはずであった。それが逆になったことで、深い余韻を残すようになった。

地下の下水道を逃げ去る大きな影と空間にこだまする足音、猫の声に驚いた家の灯りががついたとき、黒一色の中にくっきりと浮かび上がったオーソン・ウエールズの顔、いたずらっぽくニヤっと笑った冷徹な表情。その鮮烈な一こま一こまがくっきりと脳裏に残っている。それだけ、鮮烈な印象を残したキャロル・リードだったが、その前後となる作品「邪魔者を消せ」、「落ちた偶像」などはその能力の片鱗はあったけど、「第三の男」を凌駕するものではなかった。世界的な巨匠の位置にランクされるようになったあとも、ハリウッド独特の商業主義の前で、独特の個性は失われてしまった。