◆故事来歴

カワツザクラ

奥の細道序文にある「月日は百代の過客にして 行きかう年も又旅人也」という文言はあまりにも有名で、年降るに従って一層現実味を伴って共感させられる。ところが、この原文は唐の詩人「李白」の詩、「春夜宴桃李園序」にある<夫天地者 萬物之逆旅(夫れ天地は萬物の逆旅にして)光陰者 百代之過客(光陰は百代の過客なり)>から取られていることは、あまり知られていない。っていうより、芭蕉そのものの人生哲学から生まれたわびさびだと思っていた。

東京メトロ有楽町線の「こうじまち」駅には、2種類の「こうじ」という漢字が仲良く同居していて、異体字マニアの間では有名なスポットになっているのを知っていた?
この「こうじ」という字、もともとは「旧字体の麦に菊」が正字体で、「麹」の方は、「麥」という漢字が第2次世界大戦後の国語改革で「麦」になったのにならって、JIS規格で採用された、いわゆる「JIS字体」で、どちらが正しいかといえば、おそらく難しい字の方が正しいということになる。「こうじ」の国字は「糀」だというから、日本語ってやつ本当に紛らわしいね。

昔は鏡を磨くのに、石榴の実を使っていた。あの酸っぱい汁で磨けば、鏡の錆がよく落ちる。そういうことから、銭湯など湯槽の入口は仕切が低く、身体を屈めないと入れない。身体を屈めないと入れない、そこで、「鏡入る」つまり屈め入るに引っかけ、石榴口というようになった。ところで、銭湯の入口などに書かれている弓矢は弓射る、つまり湯に入るという駄洒落からきたものだ。

大相撲の天井からぶら下がっている「蒙御免」という文字は「儲かりごめん」と読む。これは江戸時代、寺社などを管轄する寺社奉行勧進相撲を認可したことに由来する。
「問われて名乗るもおこがましいが、・・・・」とは、歌舞伎十八番「白波五人男」で日本駄右衛門が吐く渡り台詞だ。通称「白波五人男」は河竹黙阿弥作の白波物で正式の表題は「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうし はなの にしきえ)という難しい名前だ。

さて、ここまでが前段、「おこがましい」とは身の程を弁えないという意味で、漢字で書くと「烏滸がましい」と書く。そもそも「烏滸(をこ)」とは何か、というと、要は「ばか」とか「あほ」とか言った類の罵語なのだが、その程度が違う。「ばか」や「あほ」は、辞書などでは「愚かなさま」などとあっさり済まされているが、烏滸に至ると「笑いたくなるほどに愚かなさま」「思慮の足りない行いをする人」というように一ランク上なのである。