◆和風

ジュリ

一段と寒さが厳しくなってくると、火の暖かさが恋しくなってくる。いまでは、石油ストーブとか、エアコンがその役割を果たしているんだけど、確かに全体的な暖かさは分かるんだけど、なにか物足りなさを感じるのも事実だよねえ。昔だったら、外から帰ってきたら、まっすぐに火鉢に向かって、熾火を起こして炭を足し、かじかんだ手を温めるとか、ダルマストーブにコークスを投げ込んで、そのあまりの熱さに驚くとともにほっとしたりしたもんだった。そうそう、寝るときには湯湯婆も必須アイテムだったなあ。

時代が下がると、こたつ全盛の時代、寒くて縮んだ身体をこたつの中で伸ばすと、ほのぼのとした暖かさが身体に戻ってきて、しあわせを感じたものだった。そういう意味で、確かに安全第一だろうが、いまの暖房器具っていう奴は、なんかよそよそしくて、他人行儀、暖かさという役目はちゃんと果たすものの、身体に密着した生活感というものが欠けているように思う。最近時代小説をよく読んでいるせいか、火鉢に当たり、銚釐 で酒を飲むなんていう図がとっても羨ましくなってきた。

ガスストーブにしても、結婚当初使っていたアメリカ製の石油ストーブ「パーヘクション」なんていうものは、ほんと、優れものだった。すぐ暖かくなるし、徐々に輻射熱が広がっていき、しかも空気を乾燥させないという利点もあった。取り扱いも簡単、利便性にも優れ、イギリス製のなんていったか、もっと小作りの石油ストーブと甲乙付けがたい性能があった。当時の国産石油ストーブは石油の匂いが強く、格段と性能落ちだったのだが、あれから数10年、いまじゃ、彼我の力が逆転し、日本産の性能は世界一と称えられている。

長年、こたつや火鉢など直接的な暖かさに慣れ親しんできたから、直感的な暖かさがないと、なんか心細いし、なんかうら寂しいのである。こたつの良さは家族団らんに最適だったし、寒い時には足下から暖めていく合理性があった。部屋が散らかるから嫌だという理由からか、なんとなく縁遠くなってしまったが、畳の生活は残っているだけに、尚更恋い焦がれるようになっている。これも年を取ってきた故の郷愁だろうか。確かに
火の用心という観点から見ると、チョット不安にはなるけれどね。