◆菊いろいろ

大菊・管物

聞くは一時の恥」という言葉がある。菊という植物は栽培が大変な上に、種類が多岐にわたっているから、生半可の知識では追いつかない。一時の恥もかきたくないから、専門的知識はほっといて、ただ出来上がりの美しさをひたすら目で鑑賞することに徹している。馥郁たる香りとともに、惜しげもなく大輪の花を咲かせる「菊」の偉大さに、驚きを隠せない。そして、菊の持つ魔力に見せられた人間との相克な戦いが見事な菊一輪として結集しているのだ。ただ反面、菊を見ていて思うのは、美しければ美しいなりに、自然に挑戦する人間の不遜と傲慢さを感じてしまう。

菊のイベントが目白押しの状態が続いている。さて、主戦場の新宿御苑だが、とにかく菊の種類の多さと栽培者のこだわりが感じられるね。超豪華な大菊の「達磨造り」や、華麗な「一文字菊」や管物、勇壮な「懸崖造り」は、なんといっても菊花壇のメーンイベントだけど、やはりそこそこに飽きを感じてしまう。お化けのような「伊勢菊」や可憐だけど寂しげな「肥後菊」はあまり好きになれない。やはり、いつも惹かれるのは、一に「丁字菊」、二に「江戸菊」、三に「嵯峨菊」といったところだろうか。

丁字菊は彩色の鮮やかさ、きめの細かさ、配色の微妙さにおいて群を抜いている。展示品に限りがあるので、タイミングを計りながら、旬の時期を探らねばならない。「嵯峨菊」はいかにも京都といった感じの風雅な趣と消え入るような恥じらいが好きだね。だけど、一見あのような繊細風でいて妙に力強さがあるのも特長だ。京都人特有の負けず嫌いで意地っ張りな性格が自ずと出ているのが面白い。

江戸菊はやはりその洒脱さが一番の魅力だ。ひねくれ者だけど、おしゃれ、そんな感覚が花造りにも満ち溢れていて、上品な色合いの花びらが渦を巻いていたり、あっちの方を向いていたり、上下逆なんじゃないかなんて思わす風情はまさにしゃれのめしている、っていうより駄洒落の境地だ。さながら、表は地味な江戸小紋、裏地は派手な赤い縮緬をまとい半身に構えてしゃれのめす、そんな江戸っ子の心意気が感じられるね。

一つの大輪を咲かせるため、他の花芽を取ってしまう。だから、大輪が一瞬である得るのは、せいぜい10日足らずでしかない。この1年に1度の巡り会いだからこそ、開催中2度や3度は顔を出して、豪華な大輪に見とれ、栽培者の労苦に感謝したいのだ。花を愛でる人間として、やはりその成果に敬意と賞賛を示すのは当然のことだ。