◆至福の時

馬の肖像・丸ノ内

今年5月入院したのをきっかけに、2ヶ月ほど禁煙していたが、気がつけば節煙が本格的喫煙となり、たちまち元の木阿弥となってしまった。季節の移り変わりを身に感じ始めた、初秋のある日、タンが喉につかえて苦しむ夢を見た。タンのできる元凶がタバコであるのは自明の理だから、即思い切って禁煙することにした。これで何度目の禁煙となったかは、今更いうまでもない。これまでの経験から、午前中喫煙を我慢すれば、午後は比較的楽にクリアーできることは分かっていた。

ただ、未練たらしいっていうか、意地汚いというか、夕食後の一服の応えられない旨さだけは、どうしようもない悪魔の囁きだった。だから、1本だけタバコを吸おうと決断したのである。このわずかな一瞬のときめきのために、終日じっと我慢の子を貫き通そうと思った。

そして、節煙を初めて3日目のある夜、来た、来た、来た、ついに、めくるめき陶酔の波が、繰り返し起き始めたのである。まず、指先が微かに痺れ始め、全身に徐々にと広がっていく。この喩えようのない陶酔感、冬の湯上がりにベランダで味う、あの恍惚さとはちょっと異質な快感だ。目をつむって、ゆっくり紫煙をはき出し、しばし忘我の境をさまよう。あまりの快さに、口の中で、いつのまにか、「オー!ホワット ア ビュウテフル デイ」なんて口ずさんでいる(もっとも夜だけど)。

闇雲にタバコを吸うことが、いかにばかばかしいことだったのか。この年になってつくづく思い知らされるとは、あきれて物もいえないね。たった1分足らずの一瞬が10分を超える愉悦をもたらす余韻となろうとはね。秋の日のビオロンの溜息とともに、たった一瞬の一服がこのように心を落ち着かせてくれるのかと、まさに畏れ入谷の鬼子母神の心境である。

だけど、しょせん意志の弱さも思い知らされたね。この快感はもしかしたら、1日2本でも、そして、1日3本でも味わえるんじゃないか、って考え出したら、もう実験に移っていた。けっきょく、5本まで吸ってみて、3本までなら同じような感覚を味わえるという結論を導き出した。どうして、タバコ吸いは、こうも意地が汚いのだろうか。そして、北海道では、すっかり気が大きくなってしまって、1日5本以上も喫煙を楽しんでしまった。ただ、4本以上になると、明らかに不味いと感じるのが分かったのは収穫で、改めて1日3本以内に再度挑戦してみよう。(今日現在達成していない)