◆料峭

豊平峡・北海道

朝から、霧雨がふんわりと地べたを包んでいる。しとしととむせび泣くような雨の風情っていうのもいいもんだ。久し振りの雨っていうのも気持ちを落ち着かせてくれるね。一雨ごとに秋が深まり、寒さが増すというが、きのうは25度もあった。この時期としてはかなり暖かいんじゃないだろうか。

にょうぼが手内職をやめたので、けっこう話し合う機会が多くなった。とはいえ、しゃべっているのは、もっぱらにょうぼ、コチトラはあらぬ方を向いて別なことを考えている。むろん馬耳東風ってことは、テキサンもちゃんと心得ていて、いつのまにか話の内容をしっかりと刷り込まれていることになる。その証拠に、近頃めっきり記憶力の衰えたにょうぼに、それはこうこうだろうなんて、聞き流した話を教えたりしている。

さて、そんなある日、漢字の蘊蓄にかけてはダレにも負けないって自負するコチトラににょうぼが「料峭」って、どういう意味かと聞いてきた。癪に障ることに、読み方も意味もまったくわからない。なんでも送られてくる俳句の句集を見ていると、やたらと出てくるどうやら春の季語らしい。知らない漢字に出会うと、ものすごい闘志がわいてくるのはいつものこと、にょうぼに送られてきた句集やインターネットで見つけた俳句集を見ると、春の句にやたらとこの文字が使われている。

素人考えではあるけれど、こんな蛸みたいな字にはなんの風情も、感興も起こってこないね。早春を思わす言葉にはもっと分かりやすく雰囲気のある言葉があるはずなのに、玄人を自認する投句者にとっては人の知らない字を探し出して、ザマアミロといった気負いが感じられてならなかったね。俳句なんて自分が即興に感じたことを、分かりやすい言葉で五七五に表現する筈のものなのに、字句遊びが先行して、その思いが見るものにちゃんと伝わってこないんじゃ、なにおかいわんや、ってことになりかねない。

「料峭」とは春風がうすら寒く感じる様を表したもので、「春寒料峭のみぎり」と言えば時候のあいさつになる。 これら冴返る、余寒、春寒はどれも初春のころに使われる言葉で、まだまだ冬の名残を感じさせるものである。辞書を引いてなるほどねとは思ったものの、相変わらず、この字に関してはピンとこないものが残ってしまった。「料峭」の読み方が音読みそのままっていうのも余韻がないし、まったく面白くないね。むろん、知らない字に遭遇したっていう悔しさはあったけどね。