◆硫黄泉

北海道・日和山、大湯沼

コチトラ、いわゆる湯好きで、それも熱い湯じゃないと入った気がしない。いわゆる温泉好きのマニアって数多いが、その手の温泉マニアには絶対なれない。何故なら、総じて温泉はぬるい湯が多い上に、温泉とは硫黄泉に限るという固定観念の持ち主だから、わざわざ出かけて、刺激の少ない、ぬるい温泉に入ったってちっとも面白くないんである。それと、露天風呂っていうのもあまり好みじゃないし、温泉ってのぼせやすいのも好きくない。

そういうわけで、毛がまだたくさんあった頃は、もっぱらサウナと水風呂が定番だった。その場合、熱い、ぬるいに関係なく、絶対湯船には入らなかった。それもサウナ10分、水風呂1分を三回繰り返し、身体を洗った後、休憩室で仮眠し、再度同じメニューを繰り返していた。汗を3回も絞って冷やすと、少し身体を休めないと、身体の芯からの汗が期待できないからである。そして、毛なしになってから、更に老年になってからは、サウナと水風呂は過去の栄光の架け橋に過ぎなくなった。

さて本題、今回の北海道旅行で宿泊したのが登別温泉、硫黄泉を始めとして、明礬泉、食塩泉など9種類の源泉が湧出しているそうだ。近頃はやりの大露天風呂をはじめとして、大小10前後の浴槽があり、7種類の泉質を味わえる。主流は硫黄系ではあるが、ぬる目が多く、熱めの硫黄泉は二つしかなかった。前の晩に各風呂を試してみて、熱めの硫黄泉とジャグジーを出たり入ったりしようと決めた。

翌朝4時には大浴場に出没、約2時間、人もまばらな熱めの風呂二つとジャグジーの間を頻繁に往復、午前6時に開く大露天風呂の口開けを狙った。ここの露天風呂は多少ぬるいけど、朝の景観のすばらしさに定評があるからだ。「待てば海路の日和かな」、山影から朝日が徐々に差し込んでくるとともに、目の前に地獄谷の景観がパノラマのように現れたのだ。そりゃあ見事なもので、これぞ、露天風呂の真骨頂ともいうべき、まさに早起きへの褒美としかいえないような鮮やかさだった。朝露の冷たさも忘れ、湯から半身を乗り出し、しばし、この絶景に魅入っていた。

硫黄は、人によっては嫌な匂いだが、あのゆで卵の腐ったような臭いをかぐと、もう、たまらなくなるね。白濁した熱めの硫黄泉に身を委ねると、身体のあちこちの、ひっかき傷のような小さな傷あとにキュっとばかりしみこむ。この痛痒い快感に身をゆだねていると、これぞ、温泉の極地、この世のものとは思われない喜びを感ずるね。鼻につんとくるような刺激臭もたまらない快感だった。