◆天高く

新丸ビル

ここ数日、雨もよいの日が続いているが、それ以外はいかにも秋らしい好天が続いている。まさに「天高く馬肥ゆる秋」(?)といった感じで、「女心と秋の空」って喩えも、何となく実感できそうだ。そもそも、どうして秋という字が当てられたのだろうか。調べてみると、秋という字の語源は、米など穀物が飽き満つる季節から、稲穂の穂先にある「禾」(のぎ)を偏に、紅が萌えるように見えるもみじから連想する「火」を旁に当てたという。

秋の唱歌は数多いが、気がついたものだけでも、「小さい秋見つけた」「もみじ」「まっかな秋」「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「里の秋」「虫のこえ」「どんぐりころころ」「秋の子」「村祭り」などがある。「小さい秋見つけた」の作詞は永遠の不良少年だったサトーハチロー、「赤とんぼ」は三木露風の歌詞に山田耕筰が曲をつけている。

秋のことわざも多い。列挙すると、「「秋の日は釣瓶落とし」「天高く馬肥ゆる秋」「秋風が吹く」「秋を吹かす」「一日三秋」「一日千秋」「一刻千秋」「千秋晩成」「春秋の争い」「春秋に富む」「春秋高し」「物言えば唇寒し秋の風」「一葉落ちて天下の秋を知る」「秋の夜と男の心は七度変わる」「暑さ寒さも彼岸まで」「女心と秋の空」「秋茄子嫁に食わすな」「秋サバは嫁に食わすな」。

「秋の日は釣瓶落とし」は日がどんどん短くなっていく実感がこもるいい言葉だし、「秋ナス-」は身体が冷えるから食べさせるなと言う意味と、うまいものだから嫁に食わせるのはもったいないという意味と二通り伝えられている。また、元来は嫁ではなく夜目であり、ネズミを指したとの説もある。「秋の扇」「秋の鹿は笛に寄る」「柿が赤らむと医者が青くなる」「サンマが出るとあんまが引込む」、これらの喩えはいずれも旬のおいしいものを食べると健康になるという意味だ。

さて、ここからが本題。「天高く馬肥ゆる秋」は、豊穣の秋あるいは食欲の秋を彷彿とさせる言葉だが、じつはこの解釈は日本独自のものらしい。もともと中国の故事である「天高く馬肥ゆる秋」は中国人にとって警戒の意味を表す言葉で、食欲とはまったく関係ない。

秋は実りの秋。この時期になると中国では北のほうから匈奴と呼ばれる騎馬民族が収穫物を略奪するために攻めてくる。せっかく実った農産物を略奪されてはたまらないから、この時期になると「天高く馬肥ゆる秋は北を良く見張って注意しよう」と皆で呼びかけあったのだ。世界遺産にもなっている万里の長城匈奴の侵入を防ぐためのものだった。ちなみに、匈奴とはモンゴル一帯の遊牧民族を言うが、差別用語のためモンゴル人や中国人の前では使わないほうがいい。「天高く馬肥ゆる秋」は「常に外敵の侵攻に対して警戒をする」という意味だったとはまったく意外だったね。