◆読書

辰巳桜橋

北京オリンピックが終わった。開催期間中はずいぶん長いなーと思いつつも、毎晩、深夜3時過ぎまで観戦していた。さて終わってみると、すっかり深夜便のくせがついているから、この空白時間をなんとも持て余す。なら、早く眠ればいいじゃんっていうことになるのだが、そうは問屋が卸さない。9月半ば過ぎになれば、待望のNFLが始まるし、イングランド・プレミアム・サッカーが佳境に入ってくるから、ぜんぜん問題がない。そうなると、読書しかないってわけで、図書館に行っては5-6冊の本を借りてきて、1日2冊のペースで読むことになる。

世の中には、昔から幾つもの下賎な喩えがあるけど、その中の一つに「は・め・まら」という言葉がある。男が年をとるに従って衰える機能を順番にしたものだ。なるほどって納得する喩えだが、コチトラに当てはめると「まら・は・め」の順番になる。ってわけで、1晩2冊を文庫本の小さな字で読んでいると、近頃めっきり衰えてきた眼にもろ影響する。翌日、眼の周りがただれたようになって、日の光がまぶしくてしょうがない。

なら、活字の大きい単行本を借りてくりゃいいってことになるが、どっこいお立会い、それはできない。なんとなれば、4-5冊もまとめて借りるとなると、かなりの重さになるからだ。腕力もめっきり衰えているから、たまったもんじゃない。
ナップザックを背負ってれば問題ないんだが、単行本って奴、字が大きいのは結構だが、机の上に置くと、なんとも座りが悪く、重しを用意しなきゃならないのも業腹だ。

小説を読むったって、時代小説中心だから、図書館の乏しい在庫だと読みたい本を見つけるのに手間がかかる。そして、読みたい本ほど、新刊本であるほど、人気作家であるほど、まずは在庫がないって寸法だ。そんな中で探し出したのが、プータローの明治時代小説群だ。山田風太郎はそのむかし、「柳生忍法帖」など変幻自在、奇想天外、エロエロなどをここまでやるかというほど、詰め込んだ痛快小説がシリーズ化され、忍法帖全巻を買いそろえたほどの大ファンだったが、幾つも読み進んでいくと、段々バカバカしくなってくる、そんな感じだった。

晩年になって、書き出したのが、明治時代を時代小説の舞台に置いた連作ものである。維新の英雄や、名のある人物が実名で登場してきて、はなはだ面白い。とりわけ、「警視庁草双紙」「明治幻燈馬車」は出色の出来栄えだった。ところが、他のものに読み進んでいくと、忍法帖と同じように、段々白々しくなって、飛ばし読みになってしまうのだ。