◆たそがれ

急な坂

ヘンリー・フォンダが主演した「黄昏」の原名が思い出せず、ヤキモキしながらインターネット検索をしたんだよ、いやあ、驚いたね。グーグルの5000件を越える「たそがれ」は全部「たそがれ清兵衛」に関する記述だった。あったまにきてヘンリー・フォンダでひき直して、やっと目的を遂げたんだけど、これもヤフー検索の方が役に立ったよ。

「黄昏」は老境に差しかかったヘンリー・フォンダの頑固親父ぶりがいい。不器用に心を開いて通わせて行く様も違和感なく好感が持てる。題名の通り、人生の黄昏を感じさせる心温まる作品だった。原題の「on golden pond」では、映画の内容もさっぱり分らないから、けだし名訳だよなあ。フォンダと不仲だった娘のジェーン・フォンダ、晩年のキャサリーン・ヘップバーンの共演も興味をそそられた。この作品でヘンリー・フォンダはアカデミー男優賞を獲得したが、これは一種の論功行賞的な意味合いが強かった。

そこには、柱によりかかり青く輝いた目で「クレメンタイン」をまぶしそうに見ていた、若き日の保安官ワイアットアープの片鱗はうかがわれず、ただただ老残の哀れさが目立っていた。この映画を見たときはまだ壮年のときだったから、他人事みたいに心温まる思いで鑑賞できたが、いま見たら果たして感動どころか吐き気がしてくるかもしれない。

「黄昏」という邦訳は完全に意訳だが、この二文字が映画の内容を鮮明に表現していて、日本語の持つ魔力、磁力を強く感じさせられた名訳だった。この頃以降、このような優雅な意訳は陰を潜み始め、いまじゃあアメリカ映画のほとんどが、原題の英語名をカタカナに置き換えるだけの味気ないものになってしまった。映画の題名なんかはその余韻を人の感性に訴えなくてはどうしようもないはずだが、軽佻浮薄の時代、優雅な日本語を解せない連中も増えているんだから、どうしようもないかもしれない。かくして映画館、もとえシネコンへ行く機会は着実に減っている。

きょう68歳の誕生日を迎え、また一段と人生の終わりに近づいたような気がして気が滅入ってくる。いまは史上最高といっていいほど、体調も精神面も絶好調だが、これが果たしていつまで続くんだというと、まったく自信が持てないのも事実である。「天気晴朗なれど波高し」の繰り返しでダンダンと衰えていくんだろうなあって漠然と考えている。