タマリュウ

このシステム(年功序列・席次制)は、明治国家の創設以来、日本の官僚社会でずっとつづいてきた慣習で、これを破ることは事実上不可能といっていいほど日本の社会に根深く入りこんでいる。おそらくその起源は、奈良平安朝の昔まで、あるいはそれ以上に古いところまでたどれるのではないだろうか。

同じシステムが、陸軍、海軍の軍人の序列と進級にも働いている。昇級進級の基準が、陸軍の場合は士官学校の卒業席次、海軍の場合は海軍兵学校の卒業席次。日本の陸海軍をダメにしたのは、この順位席次システムであると昔からいわれつづけたが、それがゆるめられることはなかった。同じように、官僚の世界でも、このシステムがいけないと何度も言われながら、ほとんど全く変わることなく、明治以来今日までつづいている。

このようなシステムの中で、事務次官会議を仕切る官房副長官は官僚トップの身分である全省庁の次官を集めてそれを仕切る役だから、官僚の最高のポストと目されている。そして、これまでは、全官僚から、この人ならと目される人が選ばれてその椅子に座ってきた。通例それは旧内務省系(警察庁自治省厚生労働省など)の次官が選ばれてきた。そしてその椅子に座る人は、それなりの存在感を持って全官僚を威圧できる人だった。その典型とされるのが、田中内閣時代の後藤田正晴官房副長官である。

田中内閣時代の田中角栄の支配力の半分くらいは後藤田官房副長官の威圧力によるものといわれた。そのパワーを大いに評価した田中角栄は、後藤田が官僚を引退すると、これをすぐに選挙に出して、代議士にし、田中派の重鎮にしてしまった。後に中曽根が総理大臣になると、この後藤田の能力をもう一度利用したいということで、官房長官にしてしまい、中曽根時代は後藤田時代でもあったといわれるほどの辣腕をふるって内閣を切りまわした。

後藤田さんがあまりにも目立ちすぎたので、以後の官房副長官はできるだけ目立たないよう黒子の役割に徹してきた。だから、町村内閣官房長官の傲慢さ、不遜さが、事情を知る人ほど鼻についてならないのである。「なんだよ、猿回しに自在に操られているエテ公のくせして、威張るんじゃないよ」ってなもんだ。この構造は自民党政権腐敗の原動力にもなったのは否めないが、逆に民主党政権になっても基本的に変わるはずがないのである。政府は先月26日、内閣府事務次官に旧自治省出身の山本信一郎官房長を充てる人事を固めた。