◆後期高齢者

ビヨウヤナギ

なにかと後期高齢者問題が世間を騒がせている。谷間にいるコチトラとしては論評をする立場にはないかもしれない。だが、3年もすれば、このむかつくような固有名詞にくくられた年代に到達する。厚生官僚の腹のうちがはっきりと姿を現したという現実を、認識しなければならないだろう。さんざん絞り取ったら、使い捨てにしようという魂胆である。昔から姨捨山とかが現実にあり、それをベースにした「楢山節考」もベストセラーになった。とにかくゴミは整理しなけりゃならない。粗大ゴミなのか、不燃ゴミなのか、とりあえず料金の取れる粗大ゴミにしてみようか、という発想だろう。

近隣に出かけるのは、できるだけ歩こうと決めていて実行してきたが、その結果入院となってしまったのでは、あまり効果がなかったんだって、ちょっとがっかりもしている。そういうわけでもないが、病後をいたわる気持ちもあって、無料パスを持っているのをいいことに、ちょっとそこまででも、ついバスに乗ってしまう。利点もあって、歩きだと1か所しか行けないのが、バスを乗り継げば2−3か所を回れる利点もある。だけど、豊洲開発が進んだせいか、最近のバスは混んでいる。

バスの運転手って大変なんだなあって、つくづく思い知らされたねえ。きのう、停留所で何度かバスがブレーキをひいて、運転手が下車をした。最近急増している車イスの乗客を補助するためである。車イスを押してバスに乗せ、指定された場所に車イスを固定する。また、赤ちゃんを乗せたバギー車の場合も同様である。この動作を運転手たった一人で、乗降の都度繰り返す。一緒に乗っていれば、この大変さを理解できるけど、最近のバス到着時間が予定より大幅に遅れるのは、そして、いつも混んでいるのは、この辺りの事情もあるようだ。

一つ気になることがある。それは車イスに乗った老人たちの、それが当たり前といった感じの傲慢さと横柄さである。社会の弱者だから、それ相応の対応が与えられるのはやむを得ないとしても、それが当然というような態度は、見ていてとっても印象が悪い。弱者は弱者なりに、謙虚さと感謝の気持ちが必要で、それが乗客の共感も呼ぶことになる。いずれにせよ、高齢者の在り方って微妙だなあ、込み合ったバスに揺られながら、前期高齢者は考え込んでしまったね。むろん、誰からも席を譲られず、立ったまんまだったけどね。