◆皐月5月

ツツジ

5月1日、メーデーの日。天気予報の通り、朝から文字通りの五月晴れ、日の光がまぶしい。きのうは東京で今年初めての夏日を記録したそうだが、今日も同じように暑いらしい。珍しく早起きをして、豊洲駅前の眼科へ出かけた。三月に一度の眼底検査で、ハンサムでソフトボーチェの先生に会えるのは嬉しいが、瞳孔を開く目薬を点されるのが玉にきずだ。なにせ、この薬を点眼されると、三時間ほど瞳孔が開きっぱなしになる。ものは見えなくなるし、そのくせ、横断歩道の白線がやたらとまぶしく映るから、歩いていても危険この上もない。

出歩くのをやめてさっさと家に帰ってきた。さっさといえばかっこいいが、手探り足探りで、ようやくたどり着いたようなもんだ。心の中に用心しなきゃという決意らしきものがある。思えば、昨年の今頃は、胃潰瘍の手術を受け、点滴をぶら下げ、鼻ねじを食らわされて、病院のベッドで呻吟していたのだった。28日に病院へ担ぎ込まれ、29日に手術、7日に退院、GW期間中ずっと病院のベッドの中だった。なに、瞳孔が開きっ放しなんて、すぐに治る。それよりなにより、今年は無事に過ごしているってことを感謝しなければね。

例年新芽の季節になると、からだの具合が悪くなり、満足に過ごしていなかった。その仕上げが昨年の胃潰瘍だったんだけど、今年はいつになく体調も万全で、この新芽の季節を迎えることができた。元気がなによりの薬、これに勝るものはないということが、年を重ねてくるといやというほど身にしみる。

皐月という言葉は、なんか勢いがあっていい言葉だね。いま、根津神社のつつじ園はほぼ満開、狭い土地に人が溢れ返っている。それがいやだから、去年も今年もパスしてしまった。道端に植えられたツツジもバカにしたもんではない。とりわけ透き通ったようなシロの清楚なツツジがいま満開中だ。わざわざ入場料を払って出かけなくても、十分堪能できる。

テレビや新聞で、宇治や狭山の新茶摘みがやたら報道されているなって思っていたら、5月1日が「八十八夜」だった。春分から数えて88日目、新茶の初芽摘みの時機到来だった。収穫を迎えた麦の穂がすすきの穂のように見えることから、この時期は「麦秋」ともいわる。梅雨前に降る長雨を「卯の花腐し」(うのはなくたし)とも呼ぶ。長雨で卯の花が腐さってしまうことからきているようだが、とにかく、ロマンテイックな響きがあるね。