◆誕生日

セイヨウヒャクナゲ

今年のゴールデンーウイークが始まる、華やかな日曜日、72歳の誕生日を迎えた。世の中挙げて、ハレの日を体験しているのに、コチトラの心はひたすら陰鬱の底に潜り込んでいく。なりたくてなったわけではないんだけど、地球が順調に回転し、季節が廻れば、取りたくない年もひとりでに増えていく。だいたいが72歳という響きがいやなんだよなあ。地獄の一丁目と国が決めた、後期高齢者の年齢に近づくスタートラインへ立ったようなもんだ。なんか空しく、なんか切なく、なんか嫌味を感じる、誕生日への思いが今後、益々増幅してきそうだ。

誕生日がくると、ここ数年、かならず嘆き節、恨み節が口をつくようになった。そして、元気ではあるんだけど、気力の充実は不安定になり、身体のギグシャクは増える一方である。免許証の書き換えに行ってきたけれど、新しい免許証と古い免許証の顔を見比べると、明らかに老いた自分がそこにいる。5年前は頬がふっくらとして、目が生き生きしていたが、新しいのは頬がこけ、目の光に勢いがない。自分の顔を見る機会が少ないので、改めて唖然とするばかりである。そうだ、葬式用の写真は5年前の免許証にしよう。そう思って、古い免許証は処分せず大切に持ち帰ったね。

「群れず、媚びず、喋らず」を後半生のモットーにしてきた。っていうとかっこいいが、そうなった大きな起こりは、身体の毛という毛が消滅してしまう怪病にかかったことだった。世間から自分を遮断してしまいたい気持ちが強くなり、孤独そのものを選んだんだった。しかし、慣れてくると、こうした単独行は、なにかに縛られることもないから、意外と気楽であり、煩わしさがないから、自由闊達に動ける有難さがあるってことが、身にしみて分かるようになった。いまじゃ誰はばかることなく、マイウエイを闊歩している。

無駄なおしゃべりをする必要もないし、休みたいときは休み、食べたいときは食べる。このように制約されることのない生活は、考えてみるまでもなく、潜在的な人間の欲求だった。理由はともあれ、そんな生活をゲットできた自分のいまを考えると、すごく充実した時間を満喫している気がして、とっても嬉しくなる。自由にさせてくれているにょうぼ殿には、深い感謝の意を表さざるを得ないね。齢を一つ重ねるのは楽しくはないけれど、今年の誕生日を、とってもハイの状態で迎えられたのがしあわせに感じるね。