◆訃報欄

カンザン

毎朝、朝食時に新聞を斜め読みする習慣だが、食事が終わる前にすでに読み終わっている。あまりにも興味を引く記事や論調がなさ過ぎるからだ。最近の新聞って読んでいてほんとうにつまらない。ただ出来事を垂れ流すだけで、それに対する批判なり解説というものがほとんどない。国民が関心のある事柄についての懇切丁寧な説明もほとんどない。江戸時代の瓦版だって、おかみに対する批判を堂々と乗っけていたよ。いつから新聞社って、こうも誰かにへつらったり、おもねったりするようになったんだろう。

それはともかくとして、そういう新聞の中身だから一番先に見るのがテレビ欄だが、これにも大いに不満がある。テレビ番組がつまらないから、いきおいNHKを見ることが多いんだが、テレビ欄が分割されていて、BS−hiや民放のBS番組が別建てになっている。これってとっても不便で、いちいち分厚い紙面を手繰ることになる。BS−hiが一番見る機会が多いのに、その手間が面倒くさくて、見たい番組をついつい見逃してしまうケースが多くなる。だから、最近ではBS−hiをつけっぱしにし、ほかに見たい番組があったら、チャンネルを変える方法をとっている。

ちかごろ、一段と興味をもって見ているのは訃報欄である。ご丁寧にもアサヒコムで訃報一覧を出してまで見入っているが、それだけ死というものが身近になってきたっていうことだろうなあ。まず眺めるのが年齢、80才を過ぎていれば、しょうがないかもって納得し、70代であれば、俄然緊張して、あまりいい気持になれないまま、じっと見入る。60~70代の場合、特に留意するのが死因である。各種ガンによるものであれば、ある程度致し方ないだろうなって思うし、ひとごとだから天命には逆らえないもんなあ、って納得する。

ただ、死因がCOPDだとか糖尿病の悪化なんてあると、持病があるだけに、他人事ではなく不安になる。また、ガンが肺ガンだったり、食道ガン、咽喉ガンなんかの場合はやはり緊張するね。たとえふかしであっても、タバコを吸っているから、やはり、止めるべきだなあって、その場では考え込むのである。でも、新聞を離れてしまえば、まるで別世界、きょうもまた、タバコをプカリプカリとふかしている。