◆新聞

ミモザの木

きょうは朝から氷雨のような雨が降っている。せっかく暖かくなったのに、また季節が逆戻りしてしまったようだ。きょうは春分の日、彼岸の中日、そういえば、しばらく墓参りもいってないなあ。とりあえず仏壇に手を合わして、無沙汰を詫びるしかない。

長男が大学入試の時、6ケ月ほど、朝夕刊に日本経済新聞をとっていた時期を除けば、我が家はオギャーと生まれてからこの方、ずっと朝日新聞をとっている。結婚して以来、にょうぼの父親が朝日新聞勤務だったこともあり、その方針は一層強固なものになった。だが、基本的には朝日新聞になにも義理立てしているわけでもなく、新聞といえば朝日という観念が何となく体に染みついているだけだ。それだけに、最近の朝日新聞の低調ぶりには頭が痛い。

朝食をとりながら、ざっと目を通すわけだが、ものの10分もしないうちに、すべてを読み終わってしまう。要するに興味を催す記事や特集がほとんど見当たらないし、朝日独自の主張とか、政治批判とかの論調がはなはだ物足りないのだ。ニュースの類は、テレビやインターネットでほとんど先に見ているから、ほとんど素通りしてしまうとしてもだ。インターネットで見ていると、興味ある記事が掲載されているのは、東京新聞毎日新聞、日経、サンケイなどのほうが圧倒的に多い。

40ページ近くある新聞の紙面だが、読まないものがけっこうある。まず一番多い新聞広告、これは絶対に読まないね。ついで、社説、株式欄、囲碁・将棋欄、連載小説、4コマ漫画、投書欄、歌壇・俳壇、外部識者によるコラム欄、アスパラなど。Be欄も段々つまらない形式になっているので、ちょっと目を通すだけで素通りする。一番熱心に見るのはラジオ・テレビ欄だが、二つに分断されているので、毎度イライラさせられている。

社説はその新聞の確固たる姿勢を示す重要な主張だと思うが、朝日のそれには、毅然たる姿勢で社会の木鐸足りうる主張に欠ける。いまでいえば、自民党におもねる様な消極的主張に終始していて、日本の社会を変えていくんだっていう気迫や迫力がない。これはどの新聞にも顕著だが、保守的傾向の強い読売や産経の方が、時として思い切った提言を出しているのを見せられると、歯がゆくてならないね。