◆ミカン

ユリカモメ

どうやらミカンのおいしい季節が過ぎたようだね。今年の冬はミカン三昧で、一つ食べ終わると、また次とへ手を出すようになった。元々ミカンは好きな果物ではなかった。っていうのも、皮をむき甘皮を丹念に取るのが面倒くさかったからである。それが、閑人となったいま、1袋ずつ丹念に甘皮を取るのがとっても楽しくなってしまった。A型人間のおかしな性癖がこんなつまらないことでも、完璧さを要求してくる。そうしておいて、1袋ずつ果肉にかじりつくようにして、果汁を吸い取る。だが、ミカンも熟してくると、皮も柔らかくなるので、そんなまだるっこいことは止めにして、丸ごとかじりつくようになる。

むかしは茶の間といえば、部屋のど真ん中に置炬燵が置かれ、ここで食事もし、テレビを一緒に見、おやつを食べ、転寝をする、いってみれば家族団らんの場所だった。ふだん炬燵のテーブルの上には山盛りにされたミカンが置かれ、みんなでワイワイいいながら、それぞれのやり方で、食べあったものだ。コチトラは丹念に甘皮をとるもんだから、どうしても早食いはできない。だから、あらかじめ自分の分を2ケ程確保してから、おもむろに作業に取り掛かっていた。周りが食べ終わって、炬燵で横になって寛いでいるとき、一人黙念と作業に熱中するのだ。

にょうぼはどうしても散らかし放題になりがちの炬燵が嫌いなようで、ここ数10年我が家には炬燵というものがない。コチトラはストーブやエアコンのような不自然な温かさより、じかに温かさを感じられる炬燵大好き人間、あの雑然とした乱雑さも大好きだ。いかにも日本文化を象徴するような、ごちゃ混ぜ、多様性、温もり、便利さ、簡便さ、合理性、だらしなさ、こういったものが雑然と盛り込まれているのがいい。

なんて書いていたら、昨日あたりから気温が上がり、15度、18度といった具合に急上昇、窓越しに射し込む日の光も一段と激しさを増すようになった。日溜りの中でまどろんでいると、暑すぎて一枚一枚と着ているものを脱がざるを得ない状態だ。こうなると人間なんて勝手なもんで、炬燵なんかもうどうでもいいやって気になってくる。にょうぼにしかけようと思っていた炬燵論争は今年の秋以降に持ち越しだ。