◆谷端

ゼラニューム

何年か前、朝日新聞のコラムに懐かしい記事が出ていた。あまりにも懐かしいので、コピーしておいたが、その一部を紹介する。<板橋区の一隅の我が家から、旧中山道へ向かう途中に子易神社があり、そこにある二つのベンチには、ボクの散歩コースの休憩所として世話になっている。よく見ると一基のベンチの上面には「田楽橋」という文字が刻まれていて、もう一基には「明治四十三年七月竣成」とある。神社のすぐ南が東武東上線の踏切で、そこを渡れば、今度は「谷端川緑道」というものに出会う。谷端川が現在も下を流れているらしく、暗渠にされたのは東京オリンピックのころ。その際、橋も当然取り壊されたが、住民はせめて橋桁だけでも残そうと神社の境内へ避難させたそうだ。>

懐かしい思いで熟読玩味させてもらったよ。確かに石神井川の支川だった谷端川が緩やかに流れていた。ただ、下流となる板橋駅を横切る辺りから暗渠になっていた。コチトラは北区立谷端小学校の卒業生、母校の変わった名前は川の名前に因んだものだったことを思い出した。ちなみに「谷端」と書いて「やばた」と読む。亡くなった母や祖母の話だと、戦前、家の前の大通りを谷端川が流れていて、泳いだりしていたという。それが埋め立てられて暗渠になったそうだ。戦前、滝野川区(いまの北区)は牛蒡の産地として知られ、あたり一面は畑だったという。

東上線大山駅商店街の一角に、ピース劇場という場末の映画館があった。大山で炭屋を営む親戚から無料入場券をもらっては、三流西部劇を見に通ったものだ。ランドルフ・スコットやジョエル・マックリーが主役だった。旧中山道を下り、17号線に合流したちょっと先を左に曲がる。「帰りは都電に乗りなさい」って、電車賃を渡されていたが、ほとんどは途中にある駄菓子で消えてしまった。行くのは大抵が夜、帰りは9時ごろだったが、片道30分は歩く。板橋駅に着くまでの道のりが真っ暗闇で、人家もまばら、お化けでも出そうな雰囲気で、子供心にも「恐怖の報酬」に、絶えずおびえながら帰ったものだった。深夜に見るガスタンクは巨大過ぎて薄気味悪かった。