◆正座

モミジ

いま、とっても閑だから、またぞろ、なん10回目かになる恒例行事をやっている。「剣客商売」と「鬼平」の読み返しだ。本を読むとき、寝転がって読むってことはあまりしないね。寝転がっていると読書そのものよりも、居眠りする快感の方が魅力的だからだ。いつのころからか、あぐらかくより正座する方が楽になってきた。だから、鬼平なども正座して読むことになる。ちっとも苦にならないのがわれながら可笑しい。葬式の席で、よく足がもつれてひっくり返る例をよく見ていて、他人事ではないなって思ったのがまるでうそのようだ。

鬼平の連作の中で、何回読んでもいいなあって思う傑作は、「おれもこれで最後になるかもしれない」って、鬼平に思わせたものすごい奴の襲撃を受ける「本門寺暮雪」、鬼平がたまさか乗った船で、老船頭が鬼平の愛用しているキセルでタバコをうまそうに吸いだした「大川の隠居」、引退した元盗賊が、閑をもてあまし一人盗めをする「穴」などだが、読後の爽快感に格別のものがある。

さて、その「穴」の主人公、扇屋を営む平野屋源助は「鶴のように痩せた---」、七十がらみの白髪の老人だった。痩せてはいるが老顔の血色は実に美しく、近所では「平野屋の旦那は、いつ見てもまるで湯上りのように艶々した顔をしていなさる」と評判だった。お節介な奴が「長生きの秘訣を教えてくださいな」って尋いたら、「それには先ずむだ口をきかないことですよ」。続けて、「らちもないおしゃべりをするたんびに、その口から躰中の精がすこしずつ外へ出てしまう。もったいない、もったいない」といったそうだ。

これって、大いに共感することがあったね。人と話をする機会が少なくなって、ただ一人のにょうぼとでさえ、まともな会話すらしなくなった昨今だ。もっとも、にょうぼは耳が遠くなったし、コチトラの声はかすれ気味、その上早口だから、中々通じないってこともあるけれどね。だから、にょうぼがひとりでしゃべり、ひとりでうなずいているって光景が多くなった。たまに息子たちが訪ねてきても、すぐにしゃべるのに飽きてしまい、腹ん中では「そろそろ帰ってくれないかなあ」なんて秘かに思っていたりする。つまり、しゃべるのが億劫になったのかもしれない。これって、一種の対人恐怖症ってことなんかなあ。