◆秋深し

サクラモミジ

「秋深し隣はなにをする人ぞ」、いまはそんなお節介なことなんかどうでもいい時代になってしまったね。窓の下のサクラの大木がようやくオレンジ色に色づいてきた。日ごとにその色の濃さが増し、存在感を示し始めている。季語では、サクラモミジというそうだが、カエデとは違った味わいを感じるね。寂しさのないのがいい。サクラは春秋2回にわたって人を楽しめてくれるけど、周辺住民にとっては後始末も大変だね。

ケヤキも黄葉を増し、竹ぼうきの準備に入っているし、公園ではブナや刈り込まれたドウダンツツジが真っ赤に色づいている。考えてみれば当たり前の話で、暦では12月を迎えたのに、本来は冬来たりなばという季節なのに、秋深しって感じなんだから、やはりどこかが少しずつ狂ってしまっているね。そういえば、今年はどこからか漂ってくるキンモクセイ、あの妙に甘ったるい香りをあまりかがなかったなあ。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」、柿といえば、枯枝にモズが突き刺したカエルなんて構図をよく見たもんだったけど、いまじゃ、まったく見られなくなったね。以前、都内の生家にあった柿は、ものすごい渋柿だった。あの渋さがトラウマとなって、未だに柿が食べられない。二股になった柿の枝を登り屋根にたどりつく。大きな木だったので、たわわに実る柿を屋根に上ってもぎ取るのがひと仕事だった。ちゃんともぎ取っておかないと、熟した柿や折れた枝が樋などにひっかかって雨漏りの原因になる。

モミジの写真が比較的うまく写せないのは、花でなくて葉っぱだという点、それと色は奇麗だけど、所詮は枯葉だという点にある。カメラの目は肉眼では感じない枯葉の哀れな面、痛々しい面を活写してしまうからだ。接写を得意としているコチトラにとっては、鮮明な画像が狂って写っているだけで、許せない気になってくる。全体像についても日照時間の関係もあり、光と影の演出が思うようにできないのが口惜しい。遅寝遅起きを信条としているから、撮影に最適な午前中は苦手、どうしても強い西日を浴びての撮影が多くなってしまう。どうも苦手なんだなあ。