◆小春日和

丁子菊

9月8日は立冬だった。旧暦だとはいえ、この日から冬になるという暗示でもあった。立冬を過ぎると、使い慣れた小春日和をなんの遠慮もなく使えることになる。小春日和の日、日溜りを追って室内を移動する楽しさはこたえられたいね。今日は朝から絶好の好天、昨日までの雨がウソのように、一点の雲もない。窓辺に寝そべって小春日和を楽しもうとしたが、汗がジワジワとしみだしてくる。小春日和どころではない、まるで夏の陽気だ。

着ている物を脱ぎすて、強い日差しの中で日光浴としゃれこんだ。いつもなら、文庫本を手にするところだが、今日は補助用具はなし、ただ、ぼんやりと陽光を浴びることにした。きのう、ある作家のいっていることがとても気になったからだ。最近の人は考えることが少なくなった。インターネットで疑問を検索すると、いとも簡単に正解を教えてくれることも起因しているようだ。つまりインターネット検索が人から考えることを奪ってしまった。だから、ボクはつとめてボヤーとすることにしている。ボヤーとしていると、人は常に何かを考えているからだ。

だけど、凡夫のあさましさ、ぼんやりと陽光を浴びていると、思考どころではなく、眠気の方が先に襲ってきた。この魅力的な誘惑に耐えられるはずがなく、たちまち沈没の憂き目となった。目覚めてから、改めてボヤっとしてみたら、確かになんかを考えているね。ゆうべのスキヤキ、久し振りにうまかったなあ、長男坊の嫁さん、まもなく出産だなあ。センデル・ミノッソって、確かペルーの反フジモリ派の武装組織だったなあ、スペインの国旗って、なんであんなに複雑な文様なんだろう。確かにボーっとしながらも、いろんな思いが錯綜してくる。だけど、センデル・ミノッソって合っているかなって、ついつい検索したくなるのも事実だよ。便利なのも考えものだよね。