◆悪友

朝日新聞より

「北の宿から」「UFO」など戦後歌謡史を彩る多くの名曲を送り出した作詞家・作家の阿久悠が、1日午前5時29分、尿管がんのため東京都内の病院で死去した。70歳だった。哀感あふれる演歌からコミカルなポップスまで幅広く手がけた。「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)といった日本レコード大賞受賞曲など、生涯に作詞した曲は5千曲に及ぶ。(スポニチ

コジゼラを夏休みにした8月1日、はからずも作詞家・阿久悠が亡くなった。享年70歳、またしても同時代の戦友が逝ってしまった。まるで悪党のような顔つきからは想像もできない、美しい日本語を自在に操り、歌詞に紡いでいく手法は斬新だった。港、別れ、涙、雨、など演歌の定番語を排し、何気ない言葉で、情景を描写する。

いい詩を書くけど、売れない作詞家だった。その立場からの脱却を目指したターゲットが「ピンクレディ」だった。斬新な歌詞と踊り、華やかな衣装、ポップの要素一杯な音作り、などでたちまち「ピンクレディ」をスターダムへと登らせ、同時に一流作詞家としての地位を固め、上流社会に滑り込むのに成功した。だけど、このチャレンジは両刃の剣だった。以後、彼の作詞には、人生を斜め見する本来の特質が失われ、どこにでもいるような平凡な作詞家になってしまった。富の豊かさが詩情に勝ってしまったのである。

<♪あなた変わりはないですか 日毎寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます 女心の未練でしょう あなた恋しい北の宿♪>。都はるみが歌ってヒットした1970年代を代表する名曲。この歌詞が「女心の未練でしょうか」ではなく「女心の未練でしょう」と言い切っているところに注目したい。東京で不倫に破れた女の傷心旅行、北の宿でセーターを編む自分の未練を腹立たしく思う女心が描かれている。

<♪上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけをきいている♪>。この津軽海峡冬景色は19歳の石川さゆりが歌うこと、そして題名と、曲が先にできていて、それを元に歌詞を阿久悠に依頼したもの。わずか三分間の歌詞に女の一生を織り込み、まるで映画のシーンを見ているような感動を覚えた曲だった。(8月2日記)