◆ひでり

阿波踊り(朝日新聞)

きょうは朝から驟雨が降っている。ピーカン続きの熱暑ばかり味わってきたので、篠付くような雨を見ていると、どこかよその国にいるような、こん心持になる。ヤキが回ってボケちゃったのか、再開した「コジゼラ」は誤字だらけ、見直さないオノレが悪いのは重々承知している。だけど、どうして「あきの」(秋の)が「飽きの」だなんて意訳されちまうんだろう、納得いかないね。「立秋」を「立春」と書き間違えたのは弁解のしようがない。春立つじゃなくて、腹が立ったね。

高気圧に覆われた列島は15日も猛暑が続いた。群馬県館林市で午後2時40分に国内の観測史上7位タイの40.2度を観測するなど、全国約900カ所ある気温の観測地点のうち東・北日本の43地点で過去最高気温を記録した。 気象庁によると、国内で40度を超えたのは過去12回あり、今回は04年7月の甲府での40.4度以来3年ぶり。史上最高気温は1933年7月の山形での40.8度。 15日は群馬・伊勢崎39.8度、埼玉・寄居39.5度など、39度台も5地点で観測した。北海道でも苫小牧などで35度前後を記録、道内の18カ所で過去最高気温になった。

ピーカンはきょうで何日続いているんだろう。日照りは旱とも書くが、旱には晴れの日が続いて旱魃になるという意味のほうが強い。実りの秋が、この旱でどういう結果をもたらすかの方が恐ろしいかもね。終戦記念日といえば聞こえがいいが、日本がアメリカに完膚なく討ち滅ぼされて62年目。旧盆のさ中とピーカンとが相まって、人の姿もまばらで、行き交う車の音もおぼろだ。テレビでは終戦の裏面史などを特集しているが、鬱陶しく感じるね。いまさら過去の恥部をさらけ出して、この時だけ興味本位に放送されたんでは、見る方もかなわない。

戦中戦後といえば、まだ子供だったから、空襲と焼け跡、B29と焼夷弾、飢えと貧じさ、買い出しと農林1号、集団疎開と勤労婦人(母と子)、間の抜けた玉音放送ぐらいしか覚えていない。とりわけ、甘いものに飢えていたから、集団疎開した四万温泉の道端で貪り吸ったツツジの蜜と、フィリッピン出征から帰国したオヤジが持ち帰ったアメリカ製チョコレートは忘れられない。とりわけ、チョコを口に入れたときの強烈さは未だにはっきりと覚えている。豊かになってから、いろんな美食に出会ったけど、あれだけの喜びは二度と味わえなかった。(8月15日記)