◆キセル

キセル

金がなかった学生時代はずいぶんむちゃもやった。例えば、高校時代、彼女とデートする金もないから、学校の帰りに日暮里駅で待ち合わせ、カノジョの住む安孫子まで1時間ほどの行程を一緒するのだ。「行きはよいよい帰りは恐い」という喩えがあるけど、その通り、行きは検札がきても大楽勝、代金を払えばいいのだし、よしんば、金がなければカノジョに立替えてもらえる。問題は帰り、検札は頻繁にやってくるし、「キセル」がばれれば、虎の子の定期券は没収されるし、だいいち手元にはバラ銭しかない。

10両編成の車両から検札をかわしながら、駅ごとに降りて、次の電車に移る方法で、最後尾から最前部まで逃げたこともあった。それでいて、この路線では1度も捕まったことがないんだから、奇跡みたいなもんだった。検札が迫ってくるのを感じながら、早く次の駅に着かないかとひたすら念じた、あのスリルとサスペンス、命が縮む思いだった。それに懲りて、ほとんどは次の駅で降りて、次の電車を待つケースが多くなった。その代わり、日暮里駅に着くのに半日近くかかることもあった。

悪運尽きたのか、それからしばらくして大学生のとき、川崎駅手前でキセル乗車がばれ、川崎駅に下ろされ、駅長室でさんざ説教されたうえ、3倍の運賃をふんだくられた。初犯だからっていうことで、定期券の没収は免れた。恥ずかしい話だが、この日も学生時代のカノジョを蒲田駅まで送った帰り、間違って別方向の電車に乗ってしまったのが運のつきだったね。高校時代とは違って多少は小銭を持っていたから、一度蒲田駅で降りて切符を買えばよかったんだが、いままで捕まったことがないから、ついつい甘く見たのがよくなかったね。

無賃乗車を「さつまのかみ」とか「キセル」といったものだが、いまの若い人には「薩摩守」とか「キセル」、さらにいえば「検札」という言葉でさえ聞きなれない死語みたいなもんだろう。「さつまのかみ」は平家物語の登場人物・平忠度(たいらのただのり)の官名「薩摩守」を「ただ乗り」に掛けているし、「キセル」は吸い口とタバコを乗せる部分である雁首にのみ金属を使用することから、「入るときと出るときは金を使うが、中間には金を使わない」という意味からきたダジャレだった。