◆林住期

招き石・愛宕神社

林住期という言葉を最初に聞いたのは、数年前、作家・桐島洋子が何かに書いていたのを見て知った。臨終期と音が一緒なので覚えやすかったこともある。自分たちの年代をいうのに、老境に入ったとか、高齢化社会、熟年世代、セカンドライフ、サードステージ、第三世代、黄昏、あすか、などと世間一般で言われている言葉への反発もあったから、林住期って言葉はとっても新鮮に聞こえ、以後自分も使ってみようと思ったんだが。

桐島洋子は50代に入り、林住期を宣言した。林住期とはヒンズー教で使われる言葉で、「一線を退きゆとりを楽しむ時期」、いわば人生の秋のこと。この時期に入ってから、かのじょは仕事の量をかなりセーブし、ゆったりとした時間を過ごすことに決めたのだそうだ。こんな生活を「エンジンを切って、風に身を任せて滑空するグライダーのように生きること」と表現している。

林住期とは古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。五木寛之は、50才から75才までの25年間を「林住期」と呼び、真の人生のクライマックスと考え、その「林住期」を、自分の人生の黄金期として開花させることを若いうちから計画し、夢み、実現することが大事なのだと説く。

目下、五木寛之の「林住期」がベストセラーになっているそうだが、わざわざ買ってきて読む気はしないね。かれは自分ではこの林住期はもっとも充実した時代だったというが、かれの著作を読むと、なんか抹香臭くて、臨終記のような匂いがプンプンしてくる。桐島洋子ののびのびとして闊達な生き方は大いに励みになるが、五木寛之のそれは書き方も暗ったるいし、人生に対する執着心が未練たらしく感じられる。内容も悟りきっているようで悟っていない、妙にしんねこむっつりしているから、読んでいるうちにしんどくなってくる。人生の過ごし方って、色々あるんだろうけど、桐島洋子の、のほほんとした生き方の方が魅力的だね。