◆替え歌

宿根バーベナ

日本にはむかしから替え歌の伝統がある。というよりもそもそも、「替え歌」に対して特権的な位置を占める「オリジナル」が存在するという考え方自体がなかった。ひと口に「美術・音楽」と言うが、日本では絵には作者があり、しばしば落款がついているが、「佐渡おけさ」や「会津磐梯山」には作曲者名はない。だれも、これはオレの曲だ、と主張していない。それを証明するような曲がある。1番の歌詞だけを抜粋するが、聞けば多分だれでもおぼえのある、勇壮軽快な行進曲風の曲である。

まずは「歩兵の本領」。「万朶(ばんだ)」の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子(おのこ)と生れなば 散兵線の花と散れ」。
次に、一高寮歌。「アムール川の流血や 氷りて恨結びけむ 二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ」。
そして、メーデー労働歌。「聞け万国の労働者 とどろきわたるメーデーの 示威者におこる足どりと 未来をつぐる鬨(とき)の声」。

この3つの歌、曲はまったくおなじで、ふしぎなことにどの歌詞にも曲はぴったりあっている。一高同窓会の「寮歌解説」によると、<ちなみにこの「アムール川の流血や」の行進曲風の快適なリズムは世俗的にも受けがよく、後に陸軍は「歩兵の本領」にこのメロディーを借用し、更に日本共産党も大正13年第3回メーデーの労働歌「聞け万国の労働者」にこのメロディーを借用した。世間ではその原曲が「歩兵の本領」であったかのように言われがちだが、それは誤りで、この寮歌こそがその原曲であった>とある。

同じ曲が、寮歌から軍歌へ、そして、あろうことか、左翼運動の労働歌に変えられるという不可思議な面白さ、これが軍国主義の時代であったからこそ、興味をそそられるね。軍国主義体制の下でも、こうしたおおらかさがあったというのが奇妙に思える。さて、民主主義真っ只中のいま、著作権をめぐる争いが新聞紙上をにぎわしている。森進一が「おふくろさん」の歌詞を勝手に変えたって、作詞した川内広範がヘソを曲げ、槙原敬之の曲に、盗作だと、「銀河鉄道999」の松本零士がイチャモンをつける。

端からみれば、そんな程度のこと、どうでもいいんじゃないかって気がする。訴えた方は、いずれも過去に名声を得たことはあるが、いまは忘れ去られた人たち。いまさらながら、おのれの金玉のちっちゃさを公表してるみたいで、不愉快になる。こんなのは氷山の一角、音楽配信を巡っても盗作騒動が後を絶たない。明治、大正時代のおおらかさなんて、いまじゃ通用しなくなったんだな。時代は悪いほうへ、悪いほうへと動いている。