◆ざれ言

早稲田・甘泉園

弱音なんて決して吐きたくないんだけど、ついつい口を出てしまう。今まで、自分にとって一番重要だった天気のいい悪いなんかは、まったくカヤの外。好天に恵まれて、サクラの世界はすぐそこに迫っている。だのに、ただ、指をくわえて眺めざるをえないなんて、何たる屈辱、1年で最も華やかな季節を、あたら目の前にしながらの挫折、ああ、嫌だ。

とにかく後遺症として、生まれて始めて経験する腰痛という厄介な代物を抱えてしまった。食欲はちっとも進まないし、思考力は減退というよりもやる気まったくなしといった状態だ。パソコンは気にはなるけど、中々手を出す気になれない。たかだか1週間程度離れただけなのに、ちょっとさわったら、誤字脱字の繰り返し、せっかくその気になったのに、もうそれ以上チョッカイを出したくなくなる。これって、すべてグチばかりだよなあ。

生きるということについて、または死というものについて、あまり真剣に向かい合ったことはないが、今回はさすがに考えさせられたね。っていうよりも高熱地獄の中で、牢屋の壁に手を縛られて、ひたすら紅蓮の炎を追う幻想にさいなまれた。この炎が死の象徴であれば、いっそ気楽なんだけど、なんか倒錯した快楽って感じのほうが強かったのはどういうことだったんだろう。

倒れたその日は、早稲田の甘泉園ににょうぼといた。50年ぶりに手を携えて訪れた甘泉園は、そもそも二人が愛を語り合ったなれ初めの場所(あぁ、なんて恥ずかしい話だ)。50年ぶりに感じた青春のときめきが体調に異変をきたした一因だったとしたら、ロマンティックな話しだよねえ。だとすれば回復も早そうだ。だって青春ってあっという間に過ぎ去ってしまうもの。それにしても逑の献身的な看護には、ただただ感謝の一字のみ。