色いろ

明治時代、鎖国だった日本の風俗習慣が欧米に紹介された。その中で、とりわけ欧米が驚いたのは日本がオール・ブルーの国ということだった。お殿様から庶民、農民にいたるまで、身に着けているものが青だったからである。飛鳥時代には高貴な身分に珍重された藍色が幕末には、日本全国にあまねく行き渡っていた。だだ、おなじ藍色でも、技術の進歩により、色の濃淡、柄、絞り、織り方などによって多様な構成になっていた。厳密にいうと70種類以上にもなるという。

浅葱(あさぎ)色とか縹(はなだ)色っていうと、ついつい黄色や茶色を想像してしまうが、実はこれらの色も藍色の濃淡を表す色名だ。萌黄色とは、淡い緑色をいうが、緑は染料として存在しないから、藍色に染めた糸を黄色の染料に入れて作る。萌黄色を生成りの麻に変えた濃い緑色で、縁々が赤く彩られた近江産の蚊帳、懐かしい思い出だなあ。

藍色とともに江戸文化に中で珍重されたのが灰色(グレー)だった。江戸時代、再三にわたり奢侈禁止令が出され、町人は目立たない地味な色を工夫しながら、隠れた贅沢を競い合っていたのである。富裕層は自分だけの色を追い求め、その結果、灰色だけでも、なんと120種類もあったという。北原白秋が「城ヶ島の雨」で詠った「利休鼠」もその一つだったに違いない。

橡(つるばみ)色は古来より日本を代表した色のことだ。実をいえば、「烏の濡羽色」と表現される黒、漆黒のことをいう。ブナ、ナラなどのドングリを茹でて砕き、鉄分を入れた茶系の溶液に浸すと黒になる。平安時代には喪服として使われ、着る人の年代によって、漆黒の「橡色」、淡い黒である「鈍色」と使い分けていた。江戸時代を代表する黄八丈はその華やかさで有名だが、その華やかさを演出しているのが、地として使われる黒だ。すだ椎の樹皮で染めた生地を、鉄分を多量に含んだ泥田に数日浸すと漆黒になる。