放水路

江戸川河口大橋

子供の頃から荒川については荒川放水路として覚えていたが、いまでは放水路の3文字が抜けて荒川と呼んでいる。ナゼ荒川放水路という名前を変えたしまったのだろうか。建設省の説明によると<分かりやすい名称として、「荒川放水路」と一般で言われていました。旧河川法上は「新荒川」という名称でした。昭和40年の新河川法施行にあたって、上下流同じの名称として、「荒川」という名称になりました>。

そもそも放水路とは洪水防止のため、新しい川を掘削し本流を迂回させるために作られたものだ。その代表的な工事が関東地方では荒川(下流部は隅田川)と利根川下流部は江戸川)だった。荒川放水路の工事は明治43年に計画され、北区の岩淵から中川の河口に、向け延長22キロ幅500メ−トルに及ぶ、日本初の近代的土木工事だった。不況の為工事が伸び伸びとなり、全体が完成したのは昭和5年という、20年の歳月をかけた大工事だった。

江戸川放水路の正式な名称は、「江戸川」だが、昔からの江戸川の流路は旧江戸川のほうで、江戸川放水路は洪水を防ぐために人工的につくられた。江戸川放水路の建設は、明治44年着工、大正9年完成、そして、放水路開削を含む江戸川改修事業全体は昭和5年に竣工した。