粋と野暮

浅黄色の半纏

俗に「粋について語るほど野暮なことはない」っていわれるけれど「粋」とはすべての領域にわたって優れたセンスを持っていることで、「野暮」とは洗練されていないことの代名詞だ。
「通」とは最新情報をかき集め知識として持っていること、気障とはどのくらい外すか分からずに、これみよがしにやり過ぎることをいう。
「渋い」とは地味目に見えるが、洗練されたセンスを隠れ持っていることだ。
「いなせ」は一寸意味合いが違っていて、若衆が派手な出で立ちなんだけど、ご禁制に触れないようないでたちで、「渋さ」を派手見にして「野暮」にはならない微妙な折り合いに妙味があった。

江戸時代、「四十八茶に百鼠」というくらい地味な色が主流だったが、そのような地味なものを粋に着こなす姿が渋いっていうんだろうなあ。
江戸幕府が発令した奢侈禁止令の影響で、華美な服装や意匠が禁止された影響で、表向きは地味ながら、見えない部分に知恵と才能を開花させた江戸の町人たちの心意味が感じられる。

欧米では万有引力ニュートンが虹のスペクトルを7色と断定するまで、虹の色は6色だったそうで、藍は抜けていたらしい。
東南アジアではわずか3色だったそうで、日本では源氏物語の頃から虹は7色として知られていたから、日本人の色に対するこだわりと先見性には拍手したくなる。

蛇足ながら、つい最近まで浅葱色(あさぎいろ)は黄色の変化したものだと思っていた。緑色がかった青色だとはねえ。淡い青色を瓶覗(かめのぞき)、赤味を帯びた紫色を葡萄色と書いて「えびいろ」と読ませるだなんて思ってもいなかった。日本語っていうのは奥が深いんだよなあ。
(浅黄色の半纏は半纏製造元「井筒」さんのHPより借用しました。)