江戸の仇

グラバー庭園

「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざがある。
ところで、このことわざ、元は「江戸の敵を長崎が討つ」だったらしい。
1919年、大阪からやってきた見せ物が江戸で大当たりして、江戸の見せ物一座は屈辱を味わった。ところが、それから間もなくやってきた長崎の見せ物は、大阪の見せ物をはるかにしのぐものであった。江戸っ子が受けた屈辱の敵を、長崎が討ったということになる。

漢字の「己・已・巳」はみんなよく似ていて識別に困るし、遣い勝手も難しい。そこで登場するのが、昔から伝えられてきた名文句である。
「キ・コの声、オノレ、ツチノト下につき イ・スデニ半ば、シ・ミは皆つく」。
漢字の読みと、三つの漢字の違いである三画目の始まる位置を詠みこんでいる。
己の音はキ・コで、訓はオノレ・ツチノト、三画目が始まる位置は下ということだし、
已は、音はイで訓はスデニ、三画目は中間から始まるし、巳は、音はシ、訓はミで、三画目は上から、ということだ。

「栽・裁・戴・載」の四つについても異なる部分と漢字の意味を示す文句がある。「木はウエル、衣タツなり、異なるはイタダクなれば、車ノスなり」

「誰、錐、推、椎、稚」の場合は、「言うはタレ、金はキリなり、手にてオス 木はシイなるぞ、禾(のぎ)はオサナシ」と、偏の違いと漢字の読みを示している。

どれも、五七五七七の和歌の形になっていて、昔の人はなかなか凝っているんだよなあ。