◆早慶戦

冬化粧・富士山(朝日コムより)

11月3日文化の日、超満員にふくれあがった神宮球場は異常な興奮に包まれていた。50年ぶりとなった早慶戦による優勝決定戦が行われたからだ。早大のエース、斉藤の好投で、大差の楽勝と思われた8回裏、慶応の猛反撃により、一時は3点差に詰め寄られたが、総力戦で選手をつぎ込んだ慶応が急造投手の不慣れな投球と内野手のエラーが重なり、点差は5点と広がり、万事窮した。それにしても、さすがに伝統の早慶戦、ただでは終わらないのがよかった。

思い起こせば50年前の早慶6連戦は、この目でしっかり見届けた試合だった。1年後輩となる安藤投手の獅子奮迅の活躍により、早稲田がなんとか勝利を手にしたものの、その激闘は脳裏にしっかりと焼き付いている。当時大学を卒業し、社会人1年生だったので、慣れない生活に追われる毎日だったから、連日神宮球場に通うのは無理だったが、それでも無理して引き分け2試合はこの目でしっかりと観戦した。

記憶が不確かなので、当時の記録をひもといてみた。<早慶6連戦:1960年秋の東京六大学野球リーグ戦は慶大が勝ち点4(8勝2敗)、早大が同3(7勝3敗)で最終週の早慶戦を迎え、早大が2勝1敗として勝ち点、勝率で並び、優勝決定戦に持ち込んだ。決定戦は1−1のまま延長十一回日没引き分け。2日後の再試合も0−0で延長十一回日没引き分け。翌日の再々試合では早大が3−1で勝ち、このカード6試合目で決着が付いた。当時は神宮球場に照明灯がなく、日没引き分けが生じた。早大はエース安藤元博(後に東映、巨人)が5試合で完投し、優勝の原動力になった>

さて思い出はこのくらいにして、ドラフト1位で日本ハムに指名された斉藤と、西武に指名された大石投手を目の当たりにしたが、大石の剛速球は素晴らしいものを感じたが、斉藤はどうしたものだろうか。7回まで慶応を無安打に封じたが、8回に急に崩れ5点を献上した。スタミナ不足を露呈するとともに、球威のなさを思い知らされた。どうみても波の投手になってしまっている。プロとなって、再生できるのだろうか。爽やかなハンカチ王子のリサイクルした投球を是非見てみたい。