◆葉月8月

海らしきもの

いいことか悪いことか分からないし、また自慢するようなことでもないが、なんと、今年の7月は義母の49日法要出席を除くと、枝川、豊洲から外へは一度も足を伸ばしていなかった。こんなことも珍しいが、体調が不安定だった上に、天候が不順だったことも大きい。戸外で行われた納骨式の席上で、思いもかけぬ熱中症に罹ったのも、用心深さに拍車がかかったようだ。

終日家にジッとしていると、パソコンをいじるか、本を読むか、惰眠を貪るか、のいずれかを選ぶことになる。一番楽なのが惰眠を貪ること、っていうわけで、ゴロゴロと寝そべって、転た寝を繰り返すことになる。そして、深夜になると一段と目が冴え渡って、さしずめ今なら、ゴルフの全英女子オープンを見て、午前2時40分からの「ローマ世界水泳」を見ることになる。終わると午前4時、翌日また寝不足のため転た寝を繰り返す。不健康な生活だねえ。

さて、日本では、旧暦8月を葉月と呼び、現在では新暦8月の別名としても用いる。葉月の由来には諸説があるが、木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」、「葉月」であるという説が有名である。他には、稲の穂が張る「穂張り月」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説などがある。また、「月見月」の別名もある。

8月15日は「終戦記念日」ではなく敗戦の日である。っていうのも、8月15日は、アメリカの戦艦ミズーリ号で、重光葵外相らが9カ国代表と共に降伏文書に調印し、ポツダム宣言を受諾した日で、日本の敗戦が世界中に知らされた日だ。戦争は、「宣戦布告から開戦を経て、停戦・平和条約の発効を持って終了」する。

対日講和条約は、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約で、条約が発効される日は、1952年4月28日だ。従って、日本における太平洋戦争の戦争状態は、「1941年12月8日から1952年4月27日まで続いていた」事になる。1952年4月28日、日本を占領していたGHQが廃止され、この日、GHQ本部のあった第一生命ビルの屋上に、敗戦後初めて日の丸が上がり、1952年4月28日に主権を回復し、独立国家・日本として再スタートした。この日こそが、本当の終戦記念日となるのだ。以上のように、8月15日は、敗戦の日となる。ちなみに、敗戦の日を記念日にしている国は日本だけだそうだ。