◆懐かしい

ツタのある家

月曜日から金曜日まで毎朝、テレビ朝日で放映されている「ちい散歩」はなんとなく聞き流している番組だが、ここんところたてつづけに、懐かしい地域を訪問していた。つまり滝野川4−6丁目と
蒲田・梅屋敷商店街である。滝野川は生まれ育った土地柄で、結婚するまで住んでいた。地井さんが大好きな横丁や路地裏がそこかしこに残っているという。しばらく訪ねてないが、板橋駅から徒歩5分ぐらいの交通至便なところなのに、未だに開発の手が伸びていないようだ。

我が家は板橋駅に向かう道と旧中山道を結ぶ狭い横町の路地裏にあった。くねくね折り通り曲がって路地で、そこには小さな横道も幾つかあった。そういう場所だから、ガキの頃の遊び場としては絶好で、ひっきりなしに駆けずり回っていた。放送された「亀の子たわし本舗」が昔の姿のまま、営業されているのを見て、ひとしお感慨に打たれたね。狭い場所に露店が密集していた庶民の台所、「飯田マーケット」は建物こそ新しくなったが、人々が醸し出す雰囲気は以前とちっとも変っていなかった。

結婚して最初に住んだのが、蒲田女塚。すぐそばを走っている東海道線の線路を渡れば、そこは
梅屋敷商店街だった。狭い道筋に多くの商店が店を並べていたが、線路には開かずの踏切が厳然と立ちふさがっていたので、買物は蒲田駅周辺に出かけることの方が多かった。だから、今回の放映で、梅屋敷商店街が東西南北に二つもあるなんて初めて知った。この辺りは京浜工業地帯の一角だったから、中小零細の工場が満ち溢れていたもんだったが、画面を見ると、そういった光景はかなり様変わりしたようだ。

板橋にしろ、蒲田にしろ、あの頃は親子が狭い間取りの中にひしめき、むろん個室など作る余裕もなく、一つ屋根の下にみんなが川の字に寝たりしたものだった。それが当たり前だったから、自分の部屋がほしいなんて、わがままは生まれようもなかった。だから、親子の秘密なんてありようもなく、すぐにばれてしまう。って思っていたのはガキだけで、親は親なりに、見えないところでは、そこそこに隠し事をしていたようだ。

だけど記憶なんていいかげんなもので、路地裏のそこかしこははっきりと覚えているが、ともに遊んだ悪童たちの顔が浮かんでこない。辛うじて名前は覚えているものの、どんな顔をしていたかがまったくおぼろなんである。60年も過ぎていれば、それも当然のことだろうが、さびしい気もするね。